ひとまず安心。

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今日、石巻市で震災にあった友人に会った。

安否は確認出来てたのだが、実際に会って話した事によって安心度が増しましたよ。

ここで話して良いか?いや話すべきなのか?
二時間かけて自転車漕いで考えて、話せるところまで話すべきだと判断し書いてみる
ブログを一時期休んで被災地に行った事も含めて。

話によると…
友人は、あの大地震の時、仕事で石巻の漁港に居た!

(テレビでも頻繁に被害の模様が流れて、実際に僕が行ったひと月後でも、240号線から海側にあったであろう民家や魚の加工所は津波に流され夜の闇に消えていた。)

その石巻漁港で友人はトラックで船に石油を積む為に待って居た。
そこであの異常なまでに大きい地震にあい、津波が来る危険があるためにトラックを一時漁港に置き避難した。

仕事場である漁港に向かう時、用事があるために途中で下ろした母を迎えに川沿いの道へでるが、
道は避難する車で渋滞し動かず、裏道を使い母を下ろした施設に向かう。

が、母はすでに避難していた。
それではと、自宅にいる嫁さんが心配になり帰宅しようとするが、三時に漁港にくる船に状況を説明する為に一路漁港に戻った。

漁港についていた船や、くるはずの船は無く状況を聞くと船は津波が来る為に沖へ出て行ったみたいだ。

(実際に、岸へうちあがっていた船のほとんどは朝の漁を終え停泊していた漁船や小船でした。)

ひとまず安心した友人はそこでようやく自宅へ戻ったらしい。
大地震から自宅へ戻るまで約30分、その時津波は街を襲い、
港から10分以上離れた自宅の一階部分まで来たらしい。

その時の恐怖、そして津波が去った後の夜、
停電して暗い街に見える赤い炎と、助けを呼ぶ声。
瓦礫や浸水、停電や炎の煙の為に助けようにも何も出来ない現実と恐怖。

話を聞いただけの僕でさえ、その時の恐怖が伝わり何も言葉がでず。
でも今、こう書いているのも、忘れちゃいけない事実と想い書いている。

僕が、先週宮城県に劇作家の林灰二さんと行ったのは、僕らに今何ができるのか?何をしたら適切なのか?

その疑問を持った人は沢山いる。
僕らは現実を確認し、伝え、判断しようと震災の被害の状況を見に行った。
避難場所にも行きたかったし、友人にも会えたが、時間が夜遅くなったのと、物資も何にも用意出来ていなかった為に断念した。

今、ゴールデンウィークのなか、ボランティアに行ってる人は多い。
現実にボランティアはまだまだ足りていないみたいで、偏って多かったり少なかったりしているらしい。
そして渋滞も多いらしい。

ボランティアをする方は、よくボランティアの団体のサイトを確認しての協力をお願いします。

義援金や募金、そしてお金を使い経済をまわすこと!

まぁ、個人的意見です。

仮設住宅の設置が間に合って無いのでそのお手伝いのボランティアがあったりしたら…。
でも、冬は寒い地方なので、技術も何もない素人が手を出せないのも事実。

後は無理せず!

できる事は他にも沢山あるはず!
今日会えた友人も、こうやって東京に来てみんなに会う事で元気になり、逆に安心できると…。

心配され過ぎてる事が重荷になったりするらしい。

安心できる環境を作る事も、今できる事の一つでは?

長文失礼しました!
あくまでも僕個人的に考えた言葉と、伝えたい事。
最後まで読んで頂きありがとうございます!

宇都宮快斗

写真は茨城の海と劇作家林灰二さん、そして急に降った氷の雨。沢山の瓦礫にカメラは向けられませんでした(ノД`)

 
  • コメント(全1件)
  • えみ 
    5/3 05:55

    おはよ

    あの震災・津波に遭遇しながら、お友達もご家族も無事だったのは奇跡的でした

    ブログを読みながらも、「早く逃げて!港に行っちゃダメ!」と涙を堪える事ができませんでした

    消えることのない恐怖の体験を抱えつつ、被災地の方々は長い年月を過ごさなければならないんですよね

    私は何もできなくて、打ちひしがれる日もあるけど、いつまでも忘れないこと、気持ちは寄り添って行くことを心に持ち続けて行きたいと思います
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