弔辞

株式会社IBC岩手放送

取締役放送本部長兼編成局長

角舘郁也様が

1日の22時27分、

盛岡市内の病院にて

急逝されました。




・・・・

私がまだ高校3年生だった

1987年夏、

当時

IBCテレビ制作部だった

角舘さんは、

「盛岡に何かスゴい青年がいるぞ!」

とディレクター的アンテナを

フルに張り巡らして、

後に

テレ朝系「ニュースステーション」

久米宏の対抗馬として、

TBS系「JNNニュースデスク'88」の

アンカーウーマンに送り込まれた

戸田信子アナ

と共に、

わざわざ私の生家に

訪ねて下さいましたよね。


今でも昨日の事のように

思い出されます。



ませガキで自信家だった私は、

「角舘さんとは長い付き合いになる。」

なんて

その時思いました。


その後も、

海の者とも山の者とも分からない

この私を、

角舘さんは

誠心誠意

追いかけて下さいました。


・高校時代の草プロレス
を二度に渡って放送していただきましたね。

・ユニバーサルプロレス後楽園ホール大会
MASAみちのく
惨敗、
そして
マクドナルド246用賀店
でのアルバイト風景

最高のドキュメンタリー番組に
仕上げて下さいましたよね。

・格安航空券H.I.S.がまだマニアックな存在だった時代に、
JTBの正規運賃で
カメラマン淳さん(後に「イメージクラフト杜の風」会長)と共に
メキシコまで取材にいらしていただきましたね。
グラン浜田師匠、
ディック東郷、
下宿大家フェリックスさん、
隣近所のチノ少年、
最高のドキュメンタリー番組は
今も
岩手県民の心のライブラリーとなって
永久保存されていますよ。

・ユニバーサルプロレス
盛岡大会を
報道枠で取り上げていただきましたね。

・みちのくプロレス
旗揚げ第1戦を
全各キー局の追随を許す事無く、
プロレス界としては
異例の待遇、
言ってみれば
アポロ11号の月面着陸
レベルの
対応で、
県民に正しく伝わるよう
完全生中継して下さいましたよね。

・その後、
二度に渡る
大仁田厚との
有刺鉄線電流爆破地雷ボードデスマッチ、

・我が父、
カト・クン・リーと
タッグで優勝の
みちのくふたり旅、
・・・・・・・・
等々着実に、
岩手の、いや
日本の歴史に残る瞬間に
携わっていただきましたよね。


「前田日明は知らなくとも、

岩手県民はみんな

サスケの素顔なんか

とっくに知っている。」

と言われる所以も

角舘さんの功績なのです。




最後にお会いしたのは
先日4月24日、
御社「枝垂桜を愛でる会60年の感謝を込めて」
でしたね。

私ごときの為に、

角舘さんは一生懸命

ホスト役を務めていただきました。

「私なんか良いですから、
他の大物を接待してて下さいよ。」

なんて言う私に

ただひたすら

にこやかに、

対応して下さいましたね。





棺の中の

角舘さんは

今にも目を覚ましてくれそうで・・・、

ただただ

この現実を受け入れられない自分がいます。



最後に一言だけ

言わせて下さい。

私の敬愛する

タモリさんの言葉を借りるならば・・・

角舘さん、

あなたが創り上げた最高傑作は

戸田信子アナ、

そして

小生、

ザ・グレート・サスケ

なんですよ。


敢えて

お別れの言葉は言いません。

傍にいて

見守って下さい・・・。



ザ・グレート・サスケ