新潟中越地震から8年!

そうかー、あれからもう8年なんだね!

この日、調布で撮影を終え、電車が駅について客の乗り入れをしてたとき、何かすいふん揺れるなー!
と思ってたら、アナウンスで、地震のためしばらく停車します!なんてアナウンスがあり、あららー、帰るの遅くなるなー!と思っていたんだけど、部屋へついてテレビつけたら大変なことになってるのに気づいた!

そしてずっとニュースを見ていたなー!

新潟のオジヤ市の映像が多くて、中で、乳飲み子を抱えるお母さんがこの子の粉ミルクがないんです!
と言うインタビューが何度も流れ、行こうと決断し、皆からカンパもらい、3日後、自分のビザやが使う三輪バイクで新潟に向かったんだ。

群馬に着き、ホームセンターに入る薬屋で、この金で買えるだけ粉ミルクください!
と言うと不思議な顔をされ、新潟の被災地に届けにいくんです!
と話すと、店の人達が、私たちも協力してもいいですか?
と、試供品の風邪薬や、胃薬、それから、こういうときは女性が一番困るのよ。と整理用品など、段ボールいっぱいくれた!
最後に、気をつけて届けてください!と、パワードリンクをくれた!

何かすごく嬉しくなり、ぜったいこの気持ちを届けるぞ!と出発した。

この時、トランクにはいらず、その上に段ボール2つ積み、ブルーシートで包み、緊急物資輸送中!と書いた紙をはり走ってました。

いよいよ県境。ここからは長い峠道、三国峠を越えなければ行けない!

新潟に入るとスタンドはほとんどやってないらしいので、空いてるスタンドで常に満タンにして挑んだ。
しかし、不安な事をスタンドマンから言われた。
峠は原付では越えられないよ。
ガス欠になってもスタンドないからね!

でも何とか越えた。
乗ってたキャノピーは、原付よりかなり多くガソリンが入るのがよかったようだ。

峠越えはとても寒くもうダメだ!と何度も思い、そんな時、追い越して行くくるまから、頑張ってください!とも声をかけてくれたり、大型トラックはわざわざ大きく抜かして行き、クラクションでエールをくれた!
色んな意味で涙が出た!

新潟、湯沢に入りスタンドがあり、とにかくガソリンを入れ、少し暖まり出発した。

ここが最後のスタンドらしい!

しばらく走ると検問があり、車がUターンしていた。
えっ、ここまできて戻るの?
と思いきや、物資輸送中の紙を見たのだろうか通してくれた。

十日町に入ると寒さがピーク。手袋をしてても指が指すような痛み!
どさんこラーメンに入り暖まる事にした。

店長が、どこまで行くのときくので、オジヤ市役所に!と言うと、東京からきてくれたんだね!
ごくろうさま!
これサービス!
と言って、鍋のチャーシューをゼーンブ入れてくれた!
会計後、この先はかなりひどいから気をつけて!これ、俺たちの休憩用のおやつなんだけど、途中で食べて!とコーヒーやらお菓子やらたくさんくれた!

涙がまたまた出てきた!

道を進むと地震の爪痕がだんだん見えてきた!
被害を受けた建物が増えていく。
このトンネルを抜ければオジヤはもうすぐ!
と言うとこまできたのだが、ガードマンに止められた。崖崩れで通行止めだという。
その時、大きな揺れ!
地面にひかれた鉄板がガチャガチャと音をたてぶつかり合う!
ガードマンも、こんなとこいたくない!と怖がっていた!

結局峠道に迂回し、地割れに何度も落ちながらオジヤ市内に入ったが、ここも道が崩れ、また迂回しなければ行けなく、消防団の家の納屋にその家族と一緒に止めてもらい翌日市役所に到着した。

しかし、現場は危険と避難情報が少なく、物資を下ろすと市役所の依頼で避難所へ物資運びを手伝い一泊して帰ってきた。

現場はオジヤ市内を撮影させてもらい、平成町の町内会の皆さんの協力で町を撮影。

その写真は、品川に戻り、区議員の作成する新聞でみんなに見てもらえる事となった


こんな時からもう8年!


あのときお世話になった皆さんの事はずっと俺の記憶に残る。
そして、あの被災地で何がたりなかったか。
今後の教訓となるはずだったのだが、昨年の大震災では、それをいかす事もなにも、すべてが昨日できなくなる、そんな未曾有の大災害となった。


これからは、自分で自分を守る!ことを考えなくてはいけないと思った!

 
  • コメント(全1件)
  • ‥ちょ、まてょ 
    10/24 21:07




    長文お疲れ様でした
    まさかネタ?

    でも淳ちゃん信じてるよ!だから
    お身体お大事にして下さいませ

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