里吉しげみの芝居論

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お墓参りのついでに三鷹にある水森亜土さんの自宅に遊びに行く。

あいにく亜土さんは長野のアトリエに絵を描きに行ってしまっているようだ。

残念。

しかし、この家の廊下にはこんな絵が無造作に置かれている。



日本のグラフィティの元祖といえば横尾忠則さんなんてイメージがあるが、僕ら庶民への影響力を考えれば水森亜土を凌ぐアーチストはいないのではないかと僕は思っている。

そして、大衆文化的なキャラクターのためか亜土さんをアーチストとして語る人たちが皆無なのは納得できないと常々思っているのだ。



そして、その亜土さんをダマクラカシテ?いる夫の「里吉しげみ」さんが今日は珍しく自宅にいたのでいろいろなお話を伺った。

僕の叔父さんあたる里吉さんは劇団未来劇場を主催している劇作家であり、演出家で、都会的で毒素たっぷりの喜劇が売り物で、ちょっとエッチなエッセンスも含んだお芝居を得意としているのだ。

昭和40年前半から90回以上公演を続けているモンスター劇団のドンなのである。

今日は親交の深かった渥美清さんとの舞台裏でのエピソードや演技論、映画と芝居の違いといった話を聞かせてもらった。

「芝居はセリフの量が多いのが主役じゃねえんだよ。芝居は観客が誰を観るかの選択権を持っているからすべてを演出しなきゃダメなんだよ。」

里吉作品は台本と呼ばず、戯曲という言葉を使っている。

そう言葉だけじゃないのだ。

「何を言うかではなく、どのように伝えるか」最近の僕のテーマにピッタリの話を聴けたのは、ちゃんと墓入りをして先祖供養したからなのかな??