幼少の記憶 その2



ども、とても珍しく夜に更新の岡田達也です。







もう、忘れられているかもしれないが

一応連載のつもりで書き始めたこのお話。

あまりにも中途半端で終わるには惜しいので

もう少しだけ続きを。



岡山に住み始め

(僕は3歳)

ここから自分の中の記憶が展開し始める。

といっても大した記憶ではない。

それは

本当に断片的なもので

今となっては「何故その記憶が?」と

クエスチョンマークを付けなければならない出来事ばかりなのだけど

きっと脳みそに焼き付けられる何かというのは

本人の意識下とは関係なく印象的なことなんだろう。





「その1」でも書いたが

この頃、父親が夜食でインスタントラーメンを作っていた。

しかも、必ず、毎晩。

これを、僕は、毎夜、お裾分けしてもらうのだ。



嬉しかった。

だって美味しいから。



その写真も残っている。

笑顔で麺を持ち上げている自分。



でも。

フト思う。



母親は看護婦をしていたが

ちゃんと晩ご飯は作ってくれていた。

それを食べた後に

必ずインスタントラーメンを食べる父。

「習慣」という言葉で済ませてしまえばそれまでだけど

母親は嫌じゃなかったんだろうか?

不思議に思う。



僕は子供だった

という言い訳を引っさげて言わせてもらえば

その頃に食べた母親の料理の記憶は何も残っていない。

蘇るのは父親のラーメンなのだ。

なんて失礼な話だろう。

なんて勝手な話だろう。

でも、それは、真実なのだ。

オマケに母親は

そのラーメンを分けてもらって食べる自分を喜んで見てくれていた。

そのことだけはしっかりと記憶に残っている。



この頃

寝る間際に父親が僕に尋ねていた。

「お父さんとお母さんのことは好きか?」

僕は必ずこう答えていた。

「お父さんもお母さんも両方好き。

でも、お父さんの方が少しだけ好き」







つづく

 
  • コメント(全3件)
  • 菊乃 
    5/7 00:16

    幼少の頃を思い出しているのは『水平線〜』の影響ですか?私の父は2年前にガンで亡くなってしまい今は母と二人暮しです。前に母が「お母さんとお父さん、どちらか亡くなってたらどちらの方がよかった(どちらと暮らしたかった)?」と聞かれたことがあって私は「お母さんでよかった」と答えました。私は父が好きだったけど反抗してしまうことがあったので。父親は異性を意識してしまうのでやはり母親だろうなと思いました。長々とスミマセンυ
  • yuzumochi♪ 
    5/7 01:38

    お母さん、達也少年がなにをしようが 「本人に任せる」ことを選ばれたんでしょうね。寛大で偉大な決意じゃないでしょうか?(*^∇^*)
  • ゆりか(休戦中でごめんなさい) 
    5/7 18:44

    多分ですが、3食のご飯は母親が作るってことが当たり前だったから、それに比べ父親が作る夜食は1食でしかもメニューはインスタントラーメン1つだからではないでしょうか。
    ニコニコになる思い出ですね。
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