味覚の変化ども、ちょっと過ごしやすい気温に胸をなで下ろしている岡田達也です。 今朝、田舎の母親から電話があった。 「二十世紀梨、どうする?」 こいつは僕にとって秋の知らせだ。 子供の頃は 台風の直撃と梨の出荷がドンピシャで重なることが多かった。 それはつまり (梨の季節というのは) 夏休みの終わりを意味するものであり あまり歓迎されるものではなかった。 と言いつつも 梨の収穫を手伝うのは楽しかったし もぎたてを頬張ると 何とも言えない甘みの果汁が口イッパイに広がり 贅沢を贅沢と分からないくらいの贅沢を繰り広げていた。 ところが。 いつ頃からか 梨が美味しくなくなってきたのだ。 イヤイヤ、それは誤解を招くな。 梨はとても美味しいのだが 好んで食べたくなくなったのだ。 これは、もう、間違いなく“飽きた”としか言いようが無い。 先ほども書いたが 今にして思えば贅沢の限りを尽くしていた「梨のもぎたて食い」が あまりにも当然のこととして食べ続けていたのが 逆効果になって表れているとしか思えない。 同じような症例として あれだけ好きだった“タコ焼き”が 自分で焼いて売るようになってから 途端に苦手になった。 あ、今はもう大丈夫だけど。 (このエピソードもいつの日か書きますね) 子供の頃に食べられなかった物が克服される というのは聞いたことがあるが 大人になって苦手になる というのは特殊な例なのだろうか? 自分の舌を心配してしまう……。 なので段ボール一箱分の梨は 毎年毎年、「僕の」ではなく キャラメルボックスやネビュラプロジェクトのメンバーの口に収まる。 母上、すみません……。 では、また。 |
いやい
一度距
そうい
たぶん
もぎた
梨に飽
その感
私は、
二十世
二十世
因みに
二十世
飽きる
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