中曽根蔦子との別れ

皆様、こんにちは。 長男の康隆です。

先週の11月7日(水)、午前8時25分に祖母、中曽根蔦子がこの世を去りました。

今年の1月から病院生活をしていたものの、お見舞いに行くと非常に元気で、つい先日の10月30日も祖母の91歳誕生日パーティを病院の一室を借りて、子・孫・ひ孫が集合して盛大に行いました。
その時も祖母は美味しそうにお酒を飲み、食欲も旺盛で、皆で「これならまだまだ元気でいられるね!」と話していました。そんな中の突然の他界だった為に正直家族一同驚きを隠せませんでした。

祖父母は1945年に結婚して以来、67年という長い年月を共に過ごして参りました。
もともと知事を目指して内務省役人になった祖父のもとへ「役人だから安心して。。。」という事で中曽根家にお嫁に来たわけですが、、、気づけば祖父は国を憂いて国政に挑戦していたのです。
それからは祖父を裏でしっかりと支え、衆議院20期連続当選、5年以上に及ぶファーストレディとしての役目を果たし、更には息子(私の父である中曽根弘文)の5期連続当選までも見守りました。

何よりも「国家」を優先させる祖父の裏で、見えないあらゆることを支えてきた祖母の苦労は計り知れないものであります。
東京出身の祖母にとって群馬県の中曽根家に嫁として入り、慣れない土地で祖父の変わりに大衆の前で演説等をこなし、地元を支える事は本当に大変だっただろうし、同時に子供3人をしっかりと自分の手で育て上げた事も立派です。

祖父は喪主としての話の中で以下のように述べました。
「妻の名前について母親に聞いたら、木に張り付いて支える蔦のように、将来の夫に寄り添い、守るために名付けた、と話してくれた。長くよくやってくれて、ありがたさの極みだ。しみじみと送ってやりたい。」

名前の由来通りの生き方をした祖母は「夫に寄り添い守った」と胸を張って言えるのではないかと思います。祖父も祖母を「糟糠の妻」だったと話をしています。
祖母なしでは祖父の政治活動も成し得なかったし、祖父の功績と言われる全ての事は祖母の功績でもあると改めて感じています。

94歳の祖父は話の最後で、「取り残されたが、ここで一つ踏ん張り、みなさんと一緒に日本のために頑張ろうという気持ちです」と話しました。
70年弱に渡り二人三脚で歩んできたパートナーを亡くした祖父が、家族としては心配ですが、この力強い言葉を実行することが祖母にとっても喜びであると思います。

私が誕生したのも当然祖母のお陰であり、中曽根という姓を授かり元総理大臣・大勲位の孫、元外務大臣・参議院議員会長の息子と言われる環境にいるのも祖母の存在があったからです。
そう考えると、本当に祖母のお陰で今の私が存在し、また私の思考もあると思います。そしてこれから私が進む道にも大きな影響を及ぼしていくでしょう。
空の上から見守ってくれる祖母に恥じないように、一生懸命生きていこうと思いました。

以下は、祖父が以前に祖母へのねぎらいの思いを込めて詠んだ句です。

「眠り落つ 妻の寝息や 秋深し」


おばあちゃん、引き続き天国よりおじいちゃんをはじめ家族をしっかりと見守っていてください!


<写真>
つい先日行われた祖母の91歳誕生日会にて。(他界の10日前)