映画のプロデュースその2私がプロデューサーをやろうと思った理由の一つに、 父親である俳優・近衛十四郎の存在というはありましたね。 役者としては越えられないだろうけど、 近衛さんはプロデューサー業には手をつけてないから、 そこで上にいけるんじゃないかな、と。 『首領になった男』を作ったのが、 もうすぐ50にもなろうかという頃ですからパワー全開ですわ。 ゴルフで言うとアゲインストのときはジッとしてなきゃいかんけど、 フォローになったときはイケイケで行って大丈夫ですから、 まあ2億や3億の借金と思って2億7千万円で映画を作った。 そしたらこれが見事に当りました。 出資者に三割配当つけて3億ナンボで返し、 それでビデオを売って、テレビ放映権も売って、 そしたらまだ2億ナンボ残ってるわけ。 それで、撮影で使ったジェット機を借りて、 ハワイにゴルフ旅行、台湾にグルメ旅行、 それから加賀百万石で2泊3日の大宴会。 基本的に映画のスポンサーとその家族の接待です。 加賀のときは1千万持って行ったら30万しかお釣りがなくてね、 とにもかくにもほとんど全部使い切りましたわ。 置いておけば次の映画の資金になるのに…… 今考えると、まあバカだったなと思います(笑)。 でも、自分で言うのもナンですけど、 プロデューサーとしては優秀ですよ。 4本作って3本当たってますから。 そんなでもなかった『蓮如物語』でさえ儲けは出てます。 別れた女房の慰謝料で全部持っていかれちゃったけど(笑)。 その後、Vシネマも何本か作りましたが、これもぼちぼち当たりました。 Vシネマと言えば、 『伝説のやくざ ボンノ』はなんとしてでも実現したかった企画でね。 あれは俊藤浩滋追悼作品と銘打ったシャシンでしたが、 俊藤さんは東映の任侠路線を支えた大プロデューサーで、 亡くなる三日前にお会いしたとき、プロデュース予定のラインナップの中で 「一番最初にやろう」とおっしゃられていたのが『ボンノ』だった。 俊藤さんが亡くなったとき、私はたまたまトンガ王国に行ってたもんですから、 帰ってきてすぐ御霊前に報告しに行きました。 「なんとしても『伝説のやくざ ボンノ』はやりますから」と。 あれは自分で金を集めたわけじゃないけど、 企画にノッてくれる制作会社があって無事実現できました。 で、ちゃんと当たりましたからね、 ヘタ売らないでよかったなと、ホッとした記憶があります。 俊藤さんと比べたら自分なんてヒヨッコもいいとこですけど、 やっぱり自分は映画生まれの映画育ちで映画が好きですから、 役者だけじゃなくプロデューサーとしても映画を作りたい。 昨今、何もかもが厳しいご時世でいろいろ難しいとこもあるけど、 いい風が吹くのを待って、もう一旗揚げたいと思っとります。 たとえ世の中がどんなふうに変わっても、 映画が無くなることはないと信じてますから。 |
素晴ら
ありが
m(__)
素晴ら
寄付金
松方サ
松方の
いや〜
また、
やはり
また、
制作の
さすが
ちょい
最近は
俺はこ
当時1
それか
兄貴に
『伝説
何役で
松方さ
とに
あるい
是非、
楽しみ
豪勢で
人に勇
松方さ
素晴ら
映画は
松方さ
きっと
こんば
加賀百
お待ち
首領に
私は、
素浪人
僕は、
豪快な
こうい
その通
高い、
松方さ
応援し
こんに
松方様
俳優と
時代劇
私をカ
修羅の
映画は
(≧ε
ログイン(新規登録)