本当に男らしい先輩久しぶりに先輩の話をしようと思うんですが、 みなさん、藤田まことさんはご存知ですよね。 まあ、あの人は人間がよう出来た方でした。 昔、まことさんと新幹線で一緒になったことがあって、 通路を挟んで並びの席になったんですが、 めざとく我々を見つけた修学旅行生がサインをもらいにやって来た。 今でこそちゃんと乗務員がその辺りは上手く捌いてくれるけど、 当時はまだそういう統制が上手くとれてなかったから。 たまたま修学旅行生と一緒になると、それだけで何百人という数で、 全員じゃないにしろ大した人数なわけです。 その頃、まことさんは『必殺』に出てたたから大人気だし、 私も『遠山の金さん』をやってましたから、まあ来るわ来るわ。 で、面倒くさくてそのとき私は寝たフリをしたわけ(笑)。 でも、まことさんはちゃんと書いてあげるんだ、一人二人と。 そしたら、もらった子が自分たちの車両に戻って友達に話すから、 あとからあとからやって来て収拾がつかんようになってしまった。 それでもまだ寝たフリをしてたら、今度は学生さんが 「松方さん、松方さん」って私を起こそうとするわけだ。 そしたらまことさん、パッと立って言いましたわ。 「ちょっと君たち、先生を呼んでらっしゃい」って。 で、呼ばれてやって来た先生に、 「先生方、この車両は公共の場です。僕も弘樹ちゃんも人気商売だからいいけど、こ そう真摯に説教するんです。 それを隣で聞いて「俺はなんとダメなヤツなんだろう」と。 それに引き換え藤田まことさんはすごい!と心底思いましたね。 なかなか言えないですよ、「あなた方はなってない。聖職でしょ?」 って、そういう苦いことをわざわざ人に向かって。 で、そのあとに車掌さんが「修学旅行生のみなさん、他の車両の方の迷惑になります それに引き換え自分は寝たフリをしてて実に情けなかった。 そっからめちゃめちゃファンになったんですわ、まことさんの。 好きになると不思議なもんで、やたらと一緒の仕事が多くなりました。 それまで、ほとんど一緒にやったことなかったのに。 本当に男らしい先輩でした。 もう2度と共演できないのが寂しいね。 本日久しぶりにドラマがあります。 本日夜9時よりフジテレビ系にて放送の金曜プレステージ『Dr.検事モロハシ』に稲垣 ↓詳しくはこちら http://www.fujitv.co.jp/b_hp/12032... ちょっとドライブ先日、番組のロケで勝村政信くんと厚木までドライブしました。 彼とは90年代前半に『元気が出るテレビ!!』で一緒だったもんだから、 道中はやっぱりその話で盛り上がってね、久々に二人して大笑いですわ。 あの番組は、天才たけしさんをメインに、 奇才伊藤輝夫(今のテリー伊藤)の総合演出で、 今では考えられないハチャメチャな内容の連続だったけど、 それが少なからず現在のバラエティ番組に影響を与えただろうし、 今も活躍中のタレントさんやスタッフをたくさん輩出して、 今思うと本当にすごい番組でしたね。 そんなわけで、この日の様子は3月10日(土)夜11時から BS朝日『極上空間』にて放送されます。 気になる方はぜひご覧ください。 映画のプロデュースその2私がプロデューサーをやろうと思った理由の一つに、 父親である俳優・近衛十四郎の存在というはありましたね。 役者としては越えられないだろうけど、 近衛さんはプロデューサー業には手をつけてないから、 そこで上にいけるんじゃないかな、と。 『首領になった男』を作ったのが、 もうすぐ50にもなろうかという頃ですからパワー全開ですわ。 ゴルフで言うとアゲインストのときはジッとしてなきゃいかんけど、 フォローになったときはイケイケで行って大丈夫ですから、 まあ2億や3億の借金と思って2億7千万円で映画を作った。 そしたらこれが見事に当りました。 出資者に三割配当つけて3億ナンボで返し、 それでビデオを売って、テレビ放映権も売って、 そしたらまだ2億ナンボ残ってるわけ。 それで、撮影で使ったジェット機を借りて、 ハワイにゴルフ旅行、台湾にグルメ旅行、 それから加賀百万石で2泊3日の大宴会。 基本的に映画のスポンサーとその家族の接待です。 加賀のときは1千万持って行ったら30万しかお釣りがなくてね、 とにもかくにもほとんど全部使い切りましたわ。 置いておけば次の映画の資金になるのに…… 今考えると、まあバカだったなと思います(笑)。 でも、自分で言うのもナンですけど、 プロデューサーとしては優秀ですよ。 4本作って3本当たってますから。 そんなでもなかった『蓮如物語』でさえ儲けは出てます。 別れた女房の慰謝料で全部持っていかれちゃったけど(笑)。 その後、Vシネマも何本か作りましたが、これもぼちぼち当たりました。 Vシネマと言えば、 『伝説のやくざ ボンノ』はなんとしてでも実現したかった企画でね。 あれは俊藤浩滋追悼作品と銘打ったシャシンでしたが、 俊藤さんは東映の任侠路線を支えた大プロデューサーで、 亡くなる三日前にお会いしたとき、プロデュース予定のラインナップの中で 「一番最初にやろう」とおっしゃられていたのが『ボンノ』だった。 俊藤さんが亡くなったとき、私はたまたまトンガ王国に行ってたもんですから、 帰ってきてすぐ御霊前に報告しに行きました。 「なんとしても『伝説のやくざ ボンノ』はやりますから」と。 あれは自分で金を集めたわけじゃないけど、 企画にノッてくれる制作会社があって無事実現できました。 で、ちゃんと当たりましたからね、 ヘタ売らないでよかったなと、ホッとした記憶があります。 俊藤さんと比べたら自分なんてヒヨッコもいいとこですけど、 やっぱり自分は映画生まれの映画育ちで映画が好きですから、 役者だけじゃなくプロデューサーとしても映画を作りたい。 昨今、何もかもが厳しいご時世でいろいろ難しいとこもあるけど、 いい風が吹くのを待って、もう一旗揚げたいと思っとります。 たとえ世の中がどんなふうに変わっても、 映画が無くなることはないと信じてますから。 映画のプロデュースその1みなさんもご存知の通り私の仕事は俳優ですが、 これまで何本かプロデューサーとして映画を作りました。 役者の仕事にもテレビに舞台といろいろあるけど、 私はやはり映画からこの世界に入りましたから、 映画が好きで、映画をやりたいという気持ちが強い。 それが高じてプロデューサーもやったわけですが、 そのきっかけになったのが『せんせい』という映画でした。 プロデューサーは千葉真一さん、監督は山城新伍さん、 その二人に辰ニィ、北大路欣也、渡瀬恒彦、そして私の6人で、 トムソーヤ企画というのを立ち上げて映画を1本作ったわけです。 言い出しっぺは千葉さんで、最初にこう相談されました。 「俺が金を集めるから、弘樹ちゃん、これだけのメンバー集まるかな?」 というのも、私はみんなと仲がよかったから。 それでまず新伍さんと辰ニィに相談したら、辰ニィはすぐに決まって、 新伍さんは「監督をやらせてくれるんだったら」と。 最初は千葉さんが監督をやるはずだったんですが、 千葉さんが「譲ってもいいよ」と言うのでこれも決まり、 渡瀬は二つ返事です。 で、最後に欣也も決まって6人集まったんだけど、 そこから先がまたえらい大変でね。 最初、脚本を倉本聰さんに頼んだんだけど、 上がってきたのが『トムソーヤの冒険』というホンで、 これが我々6人で一緒にイカダに乗りこんで四万十川を下っていく話だった。 でも、それだと撮影期間40日のほとんどを6人一緒にいなきゃいけないから、 どうやってもスケジュール的に無理なわけでね。 これじゃ話にならんというので、脚本家を交代して出てきたのが、 佃島の廃校寸前の中学校で私たちが先生役をやる話だった。 で、いざ撮影に入ってもとにかくスムーズに進まんのです。 なぜなら船頭が多いから。 監督は新伍さんなんだけど、 千葉さんはもともと監督をやるつもりだったから とにかく演出もやりたくてしょうがないわけだし、 そのうえ渡瀬も演出をしたがるし、 あの辰ニィまで演出をしたがるもんだから、 まあ、撮影が進まない進まない。 ホント「監督は新伍さんやろ!」と(笑)。 でも、もっと大変だったのが撮影に入る前の打ち合わせです。 赤坂プリンスだったか東京プリンスだったかホテルの部屋を取って、 なかなか全員集まらないから5人くらいでやるんだけど、 その5人が事務所の人間も連れてくるから5人が30人になって、 一つの部屋には入れないから事務所の人間は別の部屋に入れて、 みんなにルームサービスでメシを食わせて待たせたり、 毎回そんなことしてたら、ホテルから700万円超の請求書が来て。 まだ撮影に入る前なのに(笑)。 で、金は千葉さんが集めるもんだと安心としてたら、 千葉さんが切羽詰った声で「金が集まらない」と言うので、 しょうがないから、山城新伍司会、梅宮辰夫前座で松方弘樹ショー。 これをタダでやって、その上がりで穴埋めしました。 その後、なんとか製作費も用立て、完成にこぎつけたんですが、 いざ封切ったら初日の舞台挨拶がすごかった。 立錐の余地なしで扉が閉まらんほど客が入ってました。 そしたら、辰ニィは慌てモンだから、 「これは儲かったなぁ! 5千万円ほどもらえるぞ!!」って、 すぐベントレーを買いに走っちゃったんだけど、 ベントレーって当時で3千5百万円もする車ですよ。 でも、客が入ったのは最初だけであの映画はコケてますから、 松竹から「追加営業宣伝費を8千万いただきます」とか言われて、 それで出たのが当時流行った「バブルスター」のCMですわ。 ただし、渡瀬は入浴剤のCMをやっててバッティングするから、 他の5人で一緒に風呂へ入って、そのギャラを松竹への支払いに充てて。 で、「ギャラは一銭もないぞ。ベントレーすぐ返せ!」ってことで、 今度はベントレーを引き取ってくれる先を探してね。 それでもう「映画なんて作るもんじゃない!」って思いました。 でも考えたら、そんなことになったのは船頭が多いからで、 だったら一人でやればいいんじゃないか、と。 時代はちょうどバブル全盛期だったから金はすぐに集まります。 それで撮ったのが『首領になった男』だったんです。 (次回に続く) |