★★★★★★『「自分を必要としてくれる人」がいるかぎり』★★★★★★

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先週、あるお手伝いをした。
講演の講師として名の上がった人を、ボクならどうにかできると出しゃばったからだった。

通常なら400人前後もの、真面目に就活&就職後のスキルアップを目指そうという志の若者たちを束ねる集団のリーダー氏が、昨季まで「巨人軍 鈴木尚広」として土壇場で『代走』として一塁走者に入ったとたん、「一点差」どころか「二点差でも」相手チームはビビるという脚のスペシャリストを講師として呼べたら・・・とお話ししていた。

勝負どころで、鈴木の足を封じる・・・ただそれだけのために、DeNAなどは「肩にだけは信頼のおける捕手」を、最終回途中でピンチキャッチャーとして交代させたことがあったほどの選手だ。

ナイター(18時開始)なら11時までに、彼は必ず球場入りする。
『八時半の男』ならぬ鈴木さんは『九時からの男』。
そのころ(終盤の「八・九回」)になると、巨人のスペシャルウィポンとして登場するため、ベンチ裏トレーニングスペースで入念な身体の手入れをけして怠らなかった人物である。

昨オフ、氏の突然の引退をめぐって、観測と憶測がかなり駆けめぐった。巨人を気に入らぬなら、他の11球団いくらでもその脚力で「売れた」はず…なのに、彼はユニフォームを脱いだ。

実家は故郷福島は相馬高校の門前で、40年前の古くから(肉屋兼)焼肉屋さんを営む。それも正月もお盆もなく365日、オルウェイズオープンという勤勉実直な両親の息子である。

ボクは、当該集団のリーダーが
『鈴木さんの話を聞いてみたい』と、ボクへのつぶやきを聞き、
「ぜんぜん大丈夫ですよ」と、勝手にブッキング可能の感触を差し上げてしまった。
というのも、通常こうした方の講演依頼といったら「所属プロ」とを第一に交渉を始めなければならない。

けれど、巨人軍の方々の場合、ボクには「同僚各位」「先輩各位」「首脳陣各位」と、幾つかの別チャンネルが思い立つ。
ただし、この講演会は『営業』ではなく、あくまでも「苦労人からいい話をお伺いする」、あくまでが『入場無料の講義』なのである。そうは景気の良いオファーは出せない条件下であった。

で、もっともこの集団に見合ったオファーといったら、ボクが巨人の『同僚各位』にお願いして、謝礼程度で勘弁して戴くようにすることが現実的だと思った。
それが、そうしたレパートリーからボクが選んだ(巨人軍OBの)仲介人ドノが、チームメイトのなかでも「欲のない方」として知られる人物だったことも幸いした。

難攻不落巨人軍有名選手の講演というのに、たった一本の電話でご本人は快諾されたと聞き、ボクも楽しみになった。
さて、当日は激暑の東京大地が沸騰しまくっていた先週の日曜日午後、果せるかな通常なら400名程度の集まりが、主催者がこの日にかぎり「家族まで参加OK」としたら、なんと『1000名』が詰めかける大盛況となった。

いっぽうの鈴木さんときたら、迎えの車を断り都心から約1時間の郊外まで、私鉄を乗り継ぎ単身でやって来られ、19時30分講演開始のところを17時にはその駅前にたどり着いていたのだそうだ(笑)。
なんでも、『何百人もの講演にプレッシャーいっぱいとなって、前日はすっかり眠れなかったので困った…』という。

で、会場控室には弁当が用意されていたにもかかわらず、鈴木さんという人は、駅構内の立ち食い蕎麦屋で「立ち食いソバを食べてきました」。
『あ・・・あなたはもしかして・・・。あなたが何でこんなところに?』と、駅頭で気付き、そう問うた無粋者も居たそうだが「はい、そうなんです」と返したそうだ。

氏の語る人生、『たゆまず準備を万端に整えておかねば…』について若者たちに語った90分間。
プロ在籍20年間。ゴールデングラブ賞1回。
そして「オールスターの出場者」とはいえ、それが叶ったのはプロ19年目の夏だった。
それまでの間、どれだけ「鈴木尚広というキャラ」を、あれだけ毀誉褒貶の激しい巨人軍の一員として保ち、二軍生活は長く、雌伏したまま、切られず、かといって出されず、そこまであの修羅場で長らえた選手だった。
その方がよっぽど「球団編成の現実」に照らしたら不思議でならないのはボクだけか

ここでマイク越しに語られた彼の『ヒトとしての価値』は、『開業以来40年間、一日も休まず商売を続けた両親の背中』を見たまま、それを継承したという事に尽きる

鈴木尚久という看板を掲げ、「巨人軍」という超繁盛ショッピングモールの中に店を置き、モールや顧客からその『鈴木尚広商店』が必要とされ続けたからであろう。

幼い頃から、夏休みといっても海水浴にさえ連れて行ってくれずに商売一筋だったご両親。
長じた鈴木さんが「少しは休みなよ」と言っても、
『お客さんがアテにしてくれているから、休むわけにはいかない。必要とされている以上、それが生きがいなんだよ』
とハネ返されるだけの超真面目一家だった。

ふと気づけば、巨人軍も鈴木尚久に期待した。
それが気付けば、いつの間にか自分は誰よりも早く球場入りして、誰よりも遅い時間の出番のために、黙々と納得するまで仕込みを済ませ自分のベストが尽くせるよう、巨人軍の誰よりも入念なストレッチングをしてきた選手となっていたということだろう。

尚久が東京のプロに行ってからしばらく経った日のこと。
40年の間、開店以来「年中無休」で店を閉めたことなどない焼き肉屋「すずや」が、ある日、なんと店の扉を閉めていたのである。
同じ日、東京ドームでは相馬の息子、鈴木尚久が、監督推薦により、プロ入り初めての『セリーグ・オールスター』の一員として晴れやかな舞台に立っていたのである。

思えば尚久がプロ入りして、歳月はもう19年も流れていた。
それは、プロ野球記録タイとなるほど『遅い球宴への出場』実現となった。あの阪神川藤と並ぶ快挙として残された。
『お前にプロ野球選手など務まるワケがない』そう言って、東北福祉大への進学を尚久にせまっていた父親。

ついでに、母親は「打席に入る尚久」を惚れ惚れと眺められても、いざ『バットを振る』寸前となると顔を背けてしまう。
そのため、母は息子の打撃フォームなど見た記憶がないのだそうだ。
同じことはボクシングの選手の家族が会場にやって来ても、そのほとんどは、そうした肉親のライブ動画を目にすることがないのだという。

『40年ぶりの休業』となった『すずや』のご主人夫妻は、東京ドームで2つの盗塁を決めた孝行息子の姿を、はじめてその目に焼き付けることができたのであった。

 
  • コメント(全1件)
  • りん○ 
    8/14 11:34

    このお方は何とも不思議な方(選手)という印象があります
    川藤さんのお名前が出て、タイプは全く異なるけれど「ああ、なるほどなぁ」と思わせられました。
    親の背を見て子は育つと言いますが、鈴木尚さんのベストファーザー賞の授賞理由は何だったのだろうかと、その辺りも益々不思議で

    それにしても1000人集める集客力は凄いですね(°o°
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