遥かなる頂〜そして、エベレストへ

「無事に帰って来れますように」

ドアを開ける前に整理された部屋を眺めて、必ず心の中で呟く言葉。いよいよエベレストをみんなとシェアする「エベレストシェア」の遠征が始まる。この日を迎えるために、一日足りともエベレストのことを考えない日はなかった。苦手な分野の仕事もこなし、エベレストからの中継、「冒険の共有」も資金は目標金額まで届かなかったが、規模を小さくしてでも中継を行うことができるようになった。

あとは、僕が登ること。この秋のエベレストはほとんど人がいない。これまでに2回、登頂が難しいとされる秋を選んできた。今年も秋の厳しい風とどこまでも重くのしかかる雪を楽しみたいと思う。

エベレストは、僕にとっては終わりではなく、始まり。ここから僕がやりたかった本当の冒険が始まる。そして、2011年の春にそれを迎えることができた。本当はエベレストを終えてから登るはずだったシシャパンマの南西壁8027m。この山は、中国とネパールの国境に近く、北側の通常ルートは比較的登りやすい。

だが、その南側は全く別の顔を持っている。氷河末端から標高差2000m近くの氷壁と岩がある。アプローチはしやすいが、ほとんど登山隊が入らない。

この南西壁を2年前から登る計画を立てていた。しかし、2度のエベレストの登頂が叶わず、秋のエベレストの前に行きたい山はシシャパンマ南西壁しかなかった。そのシシャパンマ南西壁の記録を思いおこして、エベレストの前に書いてみることにした



シシャパンマ南西壁の全容。本当に美しい山だと心から思う。ベースキャンプには他の登山隊もいなく、静寂の空の中を登って行くことができた



カトマンズで手に入れたルート写真。僕はこの5番のルートを選んだ。一番右の1番はスイス•ポーランドルート、山頂までの時間が最も短く、登頂率が比較的高いルート。以前から記録と写真を見ていたが、あまり人が登ったことがないところを行ってみたい。

2番は、岩のミックスルート。春の南西壁の岩はもろく、確保もなしに登るのは難しい。3番は一番興味を持っていたルート。1982年に英国ダグスコット隊が初攀に成功したクラシックなルート。ただし、中央の巨大な岩があり、落石がある。4番と5番はあまり登られていなさそうだ。7番は技術的には簡単で、昔スキー滑降でアメリカ隊が挑戦したが、雪崩で亡くなってしまった。初めの計画では、ここを登ってスキー滑降だった。

だが、僕が決めたのは5番だった。下から真っすぐ上まで続く氷雪壁。しかも、カトマンズで手に入れたルート写真では、5番が途中で切れていた。このルート写真ではなぜ、途中でルートが切れているのか調べることはできなかったが、それが余計に気にかかるのと何よりも氷壁をストレートに登ってみたい。この5番のルートに決めた(Corredor Girone couloir)


5月25日、朝7時。気温−5℃。思っていたよりも暖かい。自分が登るルートを見上げる。見飽きたというぐらい見つめていたが、いざ登るとなると岩や雪、今まで見えていなかった隅々まで見えてくる。

氷壁を登り始めることを「取り付く」と表現する。まるで一本の垂直の木にまさに小さな虫が付き、これから登ろうとしている感じだが、ここでは人間も虫も山の前では平等。

目の前にスノーブリッチという雪の橋が現れる。横に大きな穴が見えて、深さが全くわからない。氷河の幅からするとかなりの深さになるのは間違いない。だれかがザイルで確保してくれれば余裕で渡っていくことができるが、だれも確保してくれないということは落ちたらそこでおしまい。落ちることが怖いのではなく、スポッといきなり姿が消える。ABC(アタックベースキャンプ)から仲間が超望遠レンズでこちらを撮影をしているのだが、落ちかけたからと行って助けに来てくれるわけでもない。
 
ここを登る前日の24日。僕はここの近くまで来ていた。本当は24日に取り付くはずだったが、朝からの不安は消えることがなく、集中できていないと判断。荷物を少しデポ(雪に埋めて後で回収)し、キャンプ1に戻っていた。そこから一晩、壁を眺め続け、覚悟を決めた。登る覚悟ができるまでに、まる一日かかる山は初めてだった。それだけ標高差2000m近くの壁は、精神的圧力がすごいものなのだ。



キャンプ1から見上げる南西壁。

スノーブリッチを越えると、いよいよ氷壁の斜度が急になってくる。両手のアイスバイルを氷に刺していく。20キロの荷物で背中にドスンと負荷がかかる。普通に登るだけであれば、腕や腰に負荷を分散させることができるのだが、氷壁は肩に全てがのしかかる。肩こりのある人には向かない世界だ。

氷壁の世界はどんな世界か。まず視界が狭くなる。普通に登るであれば広大な景色が見えるが、氷壁は壁なので、目の前の雪や氷しか見えない。ずっと見上げながら登ることはできない。その壁をずっと眺めていると壁の中にも小さな雪山が沢山あり、その雪山を上空から見えているという不思議な感覚になっていく。大きな山にいくつもの小さな山が見えてくるのだ。

どのぐらい進んだのだろう。思っていたよりも早いスピードで登って来ていた。それは僕が登るスピードが早いのではなく、あまりにも落ちないようにと力んでしまい、早くなっただけだ。

青い氷が固く、更に斜度が強くなる。恐らく一番急で60度はあるかもしれない。60度といっても下から見上げると壁であり、もう4時間もかかとがつかない。腕だけではなく、ふくらはぎがパンパンになっていく。力を抜いて楽になろうとした瞬間、身体が後ろに引っ張られる感覚に陥る。力を抜くというのはすごく力がいる作業だ。
 


登っています。

陽が西の空に傾き、そろそろ寝床を確保しないといけない。氷壁の中にクレバスがある。そのクレバスの端を平らにしてテントを張ろうとするが、足を滑らせ思わずクレバスの中に落ちかける。

幅1m足らずのテントを張るための平らな部分が、ちょうど幅1mしかない。壁から落ちるかクレバスに落ちるか。精神的にあまりにも悪すぎるので場所を変えて、更に登って行く。

更に登って行くと、ようやくセラックの巨大な氷の固まりの下に平らな場所を見つけた。寝床としては最高だ。雪かきをしてテントに入るが、平らなはずが傾斜があり、谷の方に向かって行こうとする。

標高6500mのキャンプ2、僕はここを「ヒマラヤビューホテル」と名付けた。こんな過酷な条件でも「平ら」があるというだけで5つ星ホテルなのである。



ヒマラヤビューホテル。



ヒマラヤビューホテルから見える景色。
翌朝、標高6500mのテントの中は酷く寒く、テントから出ると雲で何も見えない。天気予報では、27日が山頂にアタックに適している。ということは26日の今日、登らなくてはいけない。

だが、雲はまた濃くなり、状況が全く見えない。また、だいぶ体力を消耗しているのか、身体が重い。一日ヒマラヤビューホテルで横になり、わずかだが紙を水で濡らして身体を拭き、スパを楽しんだ。

27日。核心部分の稜線に出る日だ。稜線に出て一泊。その翌日は狭い稜線を歩き続けて登頂する。

つまり、標高が7000mを越える今日が、この登攀の中で一番難しい日となる。序盤の氷壁より雪が多くなってきた。傾斜もきついのに雪。身体が進んでも、ずるずるとアリ地獄のように落ちて行くこともあった。広い壁の中で固い雪をさがし、効率よく登るためのルートを探す。雪のわずかな表情の違いを見分ける。これは何度も経験しないとわからない。



キャンプ2からキャンプ3に向けて登って行く。
 
固い雪を探して登って行くと、上からサーという音で、雪がかなりのスピードで頭に落ちて来た。スノーシャワー(小さな雪崩)だ。シャワーにふさわしいサーという音は、静かで安らぎを与えてくれる。だが、スピードは早く、そして重い。両手に雪が山を作り、まるで雪の砂時計のようだ。だが、砂時計の増え方はゆっくりではなく、一瞬で積もり、洪水のように襲ってくる。身体を離していたら落とされる。壁に張り付き、洪水がおさまるのを待った。首のわずかな隙間に冷たい雪が入ってくる。

横をまた洪水が落ちて行く。今のより更に大きい。あれに捕まれば振り落とされるだろう。

シシャパンマ南西壁は僕を落としたいのだろうか。まるで大きな動物が「なんか痒いな」と言ってごりごりかいているかのようだ。



登っています。

壁を登っている感覚がなくなってきた。周りは濃いガスに包まれ、真っ白い雪壁とあたりの景色が、完全に同一になってきた。そして僕の脳も思考を停止し始め、眠ろうとする。ザックを下ろすことはできなく、雪も氷も不安定で確保もできなかった。だから、ポケットに入っているわずかなチョコレートしか食べていなく、明らかに糖分が足りなくなっていた。

一瞬ザックの重みに耐えられなくなり、両手が壁から浮き、後ろに落ちそうになった。ハッとまた起きて、壁にへばりつく。低酸素と疲労感が全てを奪い去ろうとする。落ちるどころか休むことすら許されない。

ここからは力ではなく、思いの世界。内なる力。まだ眠っている予備バッテリーを稼働させ、淡々と静かに上に向かって行く。

下山のことなど正直考えていない。上に登りきった時に初めて下山になるのだと自分に言い聞かす。だが、この苦しみから早く逃れたい。ヒマラヤの登山は楽しいなと思っても、楽だと思ったことは一度もない。だが、なぜこんなに楽じゃない世界に強く憧れてしまうのだろうか。それも年々その憧れは強くなっていく。

稜線に出る手前、クロワール(岩と岩の間)が狭くなり、黒い陰が見えて来た。この黒い陰が全てを決めていた。キャンプ1から見ていたとき、この黒い陰は双眼鏡でも小さな点にしか見えなく、何者なのかわからなかった。僕はこの最後の壁を「黒い陰」と呼んでいた。もしこの「黒い陰」がオーバーハングした岩であった場合、そこを確保なしで登るのは難しく、登山は終わる。カトマンズで手に入れたルート写真でも、ルートがこの岩の手前で終わっていた。

標高差2000m近くの登攀は、極度の体力消耗と集中力を使うためチャンスは一度しかない。この陰が陽性であればそこでおしまい。黒い陰に近づくとその隙間に割れ目が見えていた。幅が1mもない割れ目。上部に雪が少し見えた。割れ目の奥が繋がっているかもしれない。黒い壁は陰性だった。だが、ここを登ればもう後戻りはできない。

一度取り付いたら登りきるしかない。8mほどのチムニー(岩の隙間)に両手と両足を広げ、登って行く。アイゼンを岩の隙間に刺すが、岩がもろく、また力が入らない。力ではなく、バランス。このバランスこそが、南西壁を登る最大に必要な力。

身体の一つ一つに声をかけて行く。声を出した方が落ち着く。そして、最後、、、、稜線の奥から、雲海に聳えるエベレスト、ローツェ、マカルーが見えた。ついに稜線に出た。南西壁を登り切ったのだ。

海ような雲の中に岩がある静寂の世界は、まるで禅の世界のようだった。登り切った時の安堵感は全くない。なぜなら、絞りきったタオルのような身体でまだ山頂を目指さないといけないからだ。壁を登り切ってもそこで終わりではない。山頂まで行って初めて「登頂」となる。



稜線に出たところ。

夕暮れ、標高7600mあたりの稜線に無理矢理テントを張る。キャンプ2よりも傾斜がきつく、テントの3分1が外に出ている。たまに強風でテントが浮こうとする。そのテント中で何度も嘔吐した。ジフィーズのもちを食べても数秒で出した袋に戻っていく。身体がぷるぷると震えている。SPO2を計ると48だった。標高7600mで「48」。この数字が出す意味は自分では分かっていた。南西壁に出発する1週間前に、高所順応のためチベットの標高5000mの丘を登っていた。そこである程度順応して、さらに現地で順応を早く行い、体力を消耗しないように一気にアタックに全てを出す予定だった。だが、実際には順応がうまくいっていなかった。



稜線に出た自分。

翌朝、嘔吐はまだ止まらなかった。風は落ち着いている。頂上まで4時間〜5時間ほど。稜線を登って行くだけ。

だが、吐き気は止まらず、水分補給ができない。今は良くても6時間後にはどうなっているか分からない。登頂しても生きて帰らなくては登山の意味がない。稜線から山頂を目指して行くが、何度も吐き気が襲ってくる。

こんなに最後のアタックが山頂まで近い山は経験したことがない。チャンスだった。だが、もう身体がこれ以上は無理だと言っているのが分かる。遠くに見えるエベレストや絶景がきれいだなとは思わない。今、僕はこの天空の中のわずかな地上で生きている。

生きて帰るのが冒険だ。これ以上天空の世界に行くと、後戻りはできない。

僕は7700地点で下山を選んだ。

今まで一番冷静な下山だったかもしれない。それは自分の置かれている状況がきちんと把握できており、そして何よりも、南西壁をソロで登れたことの満足感があったのかもしれない。だが、ここで満足していてはいけない。やはり「登頂」と「下山」この二つがあって初めて成功なのだ。

下山して再びこの壁を登るのは厳しい。だが、今の僕ならできるかもしれない。ここは一歩引いて、再び挑もうと足をゆっくりと下に出した。

下山は、一日でできた。標高が下がれば下がるほど身体が楽になっていく、そして、下山だが何よりも危険だというのを知っているからこそ更に集中力が出てきていた。標高を下げるだけでこんなに違うのか。この標高のままで上にいくことができれば・・・

下山後、ベースキャンプには撮影のための隊員とサーダーが待っていた。

「隊長。本当に登ったね。猿みたいだったよ」と優しく僕も笑わせようとする。

だが、僕も顔から笑みが出た。生きて帰って来れたことと、憧れ続けていた目標にチャレンジできたことの喜びがあった。そして、下山してから3日間だけ休養して、僕は再び南西壁に向かっていた。その登山は今も続いている。



2度目の再アタック。



2度目のアタックは、6日3日にABCを出発。6月4日、キャンプ2からキャンプ3に向かうが下山となった。でも、2度壁に挑むことができ、登頂はしなかったが、「未来」をつかめたいい登山だった。これからどんどん色んな山に挑戦していくだろう。そしてそのためにも今、目の前にあるエベレストこれを登らなくてはいけない。

今、僕は経由先の香港にいます。今日の夜にカトマンズに着き、「EVEREST SHARE」が始まります。毎日ツイッターとブログ、そして、動画が更新されます。見えない山を登っている全ての人達にエベレストから元気と勇気をお伝えします。3度目の秋のエベレスト。応援宜しくお願い致します。

ナマステ。