”淡”という字は、単に、あわい、あっさりしている、実は全く正反対の意味

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僕は関西師友会の会員でありまして、毎月会誌が送られてきます。
師友会は、故安岡正篤先生が全国に作られた組織ですが、没後30年で関西師友会のみが今も活動しています。

3月号の安岡先生の時世と活学の部分で、広瀬淡窓先生について述べられていて、淡、の文字の意味を多くの人が誤って理解していると書かれています。

煎茶の作法を例に挙げて、説明されています。煎茶というものは、先ず第一煎でお茶の甘みを味わい、ついで第二煎で苦みを味わいます。甘みというものは、味の中では一番初歩のものでありますから、子供でも甘いものは好きです。だから「あいつは甘い」というのは、まだ人間ができておらに、人間的に初歩の若い人たちを指すのであります。ところが甘味の一つ奥の味は何かと申しますと、苦味であります。甘味を含んだ苦味、甘味を通り越した苦味、これは単なる甘味よりもはるかに勝れた味であります。それから最後の第三煎で、渋味を味わいます。甘味を含んだ渋味、甘味苦味を通り越した渋味、これが本当の茶の味と言えましょう。人間も甘さを通り越して苦味、渋味が出てこないと本物ではありません。

 従って人間というものは、甘味だけの青少年時代から出発して、やがて苦味の出る壮年時代、更に渋味の出て来るまでを考えますと、かなりの年月と修養が必要であります。が、これだけではまだ最高の境地、真の味とは言えません。この三つの味、即ち甘、苦、渋を超越した至極の味、至極の境地を、老荘や禅家では「無」或いは淡という字で表現しております。これが淡窓先生の淡の字でありありまして、「君子の交は淡として水の如し」という意味もこれでよくわかります。言うに言えない至極の味であります。

広瀬淡窓先生は、江戸時代の儒学者で教育者、詩人で、教育とは人間社会における最大の善行である、との考えの元、大分県で私塾咸宜園を主宰し1000名を超える塾生を受け入れていたそうです。