今朝も、愛読書、致知から紹介させていただきます。
先日、誕生日会を開いていただいた、お店の前で、大維志がはしゃいでいました。
「事を為そうとすれば、一万回の祈りを捧げよ」
松下幸之助
『致知』2010年11月号 特集「人間を磨く」
松下幸之助さんは
「何か事を為そうと思ったら、
一万回の祈りを捧げよ」
とおっしゃっておりました。
祈るとは考えることです。
一つのことをこよなく考える。
一万回ということは、
一日に一回考えて三十年かかるんですね。
三回考えても十年だ。
朝に昼に夕に三十回続けていたら、
三年もすれば一万回分の知恵が湧いてくる。
石の上にも三年という諺がありますが、
そうやって物事は完成していくんです。
* *
もう一人、私が十八歳の時から師事した
修養団の創立者・蓮沼門三という方が
いらっしゃいました。
九十九歳でお亡くなりになるまで
私のことを我が子のように
可愛がってくださったのですが、
この方が終戦後、会津から
私を訪ねてきてくださいました。
ちょうど先生も公職追放になられ、
私が印刷所の職工をしていた時です。
当時、職長の日給が八百円、下っ端の私は百二十円です。
最低の給料をもらっている私を
天下の大先生が訪ねてくださった。
蓮沼先生は私と一緒に食事をしながら、
しみじみと語ってくださいました。
「物事を成すには道程というものがある。
それは点々相連ねて線を成す。
線々相並べて面を成す。
面々相重ねて体を成す、ということだよ」
と。物事は最初から大きくなるものではありません。
点を連ねていくうちにそれが線となり、
線を並べて面ができる。
面を重ねて一つの物体が体をなすようになる。
表現こそ違え、『中庸』の教えと同じことを
おっしゃっているのですね。
この先生の言葉は、いまも忘れることがありません。
物事は一朝一夕に完成するものではない、
ということですね。
思いつきで始めて、いい加減にやっていたのでは、
何も成就できずに終わってしまうのです。
まさに「悠久は物を成す」です。
木下先
このコ
自身を
いつも
毎回読
何事も
今日は
分から
今日は
コツコ
諦めな
それを
1日1
偉人
勉強に
お疲れ
仏語に
事を為
僕はま
つらく
素晴ら
私も木
やっぱ
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