今年も、愛読書、致知から記事を紹介させて頂きます。

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僕も、教育者の端くれとして、こんな先生になりたいです。
現代にも、このような教師が増えることを切に希望します。
以前、キムヘギョン先生の写真のリクエストがありましたので、著書の帯を写メしました。


        「無名有力の人」
       
       
            坂田道信(ハガキ道伝道者)
        
       『致知』2008年3月号
   

徳永先生は熊本県の歴史始まって以来、
30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが、

「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」

と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。
だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね、
自分より実力が上なものだから。

それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど、
行く先々で教師たちが一番敬遠している
難しいクラスを受け持って、
みんなを勉強好きに変えてしまうんです。


授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て、
騎馬戦みたいに先生を担いで、

「ワッショイ、ワッショイ」

と教室に連れて行ったというんです。
先生、早く教えてくれって。


先生は昼飯を食べない人でした。
なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると弁当を持ってこられない
子どもたちがさーっと教室からいなくなる。

それでひょっと校庭を見たら、
その子たちが遊んでいたんです。

その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて、
その子たちと楽しい遊びをして
過ごすようになりました。

以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、
晩年になっても。

これは戦前の話ですが、


「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」


と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、


「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」


という子が現われました。

先生はどの子が盗ったか分かるんですね。

それで全員外に出して遊ばせているうちに、
盗ったと思われる子どもの机を見たら、
やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。


先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って、
同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。
子どもたちが教室に帰ってきた時、


「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」


と言うと、


「先生、ありました」


と。そして


「むやみに人を疑うものじゃないぞ」


と言うんです。
その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。

それから時代が流れ、戦時中です。
特攻隊が出陣する時、
みんなお父さん、お母さんに書くのに、
たった一通、徳永先生宛の遺書があった。
もちろんナイフを盗った子です。


「先生、ありがとうございました。
 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を
 送りたいと思うようになりました。
 明日はお国のために飛び立ってきます……」
 
 
という書き出しで始まる遺書を残すんです。


それから、こんな話もあります。
先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。

暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、


「君の精神を叩き直してやる」


と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。 
後に彼は会社経営で成功して、
身寄りのない者を引き取って
立派に成長させては世の中に出していました。


「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に
 徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。
 先生、いずこにおられましょうか」
 
 
という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した、
なんていう物語もありました。


この前もハガキ祭で教え子の横田さんという方に
思い出をお話しいただきましたが、
初めから終わりまでずっと泣いているんですよ。

定年退職をされた方だから
もう50年以上も前の思い出ですが、
1時間ちょっとの間、ずーっと泣いている。

その方の感性も素晴らしいけど、
やはり徳永先生の教育がすごかったんでしょう。

 
  • コメント(全10件)
  • ぷちマツコ(今まで本当にありがとうございました♪今月末に退会します) 
    1/5 12:15

    素晴らしい先生だったのですね。残念ながら今の時代は子供の為を思っての軽い体罰も親が出て来て、やれ謝れだの、心に傷を負ったから損害賠償だのと…。本当に徳永先生の様な教師を目指しておられる方も沢山いらっしゃるとは思いますが、なかなか生徒との距離感が難しい世の中になりましたね。50年経っても涙を流して感謝してくれるなど、教師冥利に尽きるでしょう。先にも書きましたがなかなか理想と現実が一致しない事が多いと聞く教師の世界で頑張っている先生方、負けないで頂きたいものです。
  • ロミ犬 
    1/5 12:36

    人生において良き師となる人との出会いは大切ですね
    の財より身の財、身の財より心の財が大切だと…つくづく思う今日この頃です。
  • ヒナ(スマホに機種変するかも) 
    1/5 12:56

    今回もまた素晴らしい話を読ませて頂き
    感動しました(^O^)
  • ぶたネコ*明日は明日の風が吹く〜☆ 
    1/5 14:45

    私の音楽仲間は教諭、教師ばかりです。
    時々、趣味の場なのに○○先生なんて呼び合ってて、ここは職員室かとゾッとすることがあります。楽しく教諭はやっていても、目指すものがあるように感じ取れない強い先生たちばかり
    昔、荒れくれ者とは仲が良い先生も居ました。その先生自体も変わり者だったけど(笑)
    逆にね、小学校の国語の教師でね、とっても素敵な先生だったの。大学で教えるほどの人。でもね、案外意地悪な面も見えていた先生。ちなみに小学校では低学年は受け持たない人でした。卒業するとこの先生の会があって、親は大変だったらしい
    う亡くなってるので同窓会は厳しいかな


    いずれにしても、天狗になってないつもりでも、そう見えてしまう色眼鏡もある。謙虚に、でも堂々とありたいな。。。

    思い出すといろんな先生が居て面白かったな〜
    結局、理不尽な答えを出さない先生が可愛がられてたかな

    フルネームを書けるのは、どうしようもない先生の方だけどね(笑)

  • 42 
    1/6 01:48

    私は先生と肩書きの就く職業の方々との良いご縁が小、中学校、高校と有りません。
    学校と言う名の付く所でも良い思い出有りません。この様に熱心な先生と出会っていたら私の人生ももっと違って居たかもしれない…
  • 船ドラ@ゲームはしません 
    1/6 05:19

    こういう素晴らしい方にお会いしたいものです
  • さくら 
    1/6 11:09

    素晴らしい方ですね
    教師以前に人間としてよく出来た方だと思います。私は忘れもしないですが、未だに最低な教師がいたことを。子供ながらに傷つき、教師である前に1人の人間としてクズな教師を思い出します。徳永先生のような人格者に出会いたかったです。
  • のんこ 
    1/6 20:10

    太平洋戦争の戦中戦後は食料難でしたねふかした薩摩芋がお弁当箱に入ってたものです
  • りおたん▽・ェ・▽居場所探し中(ρェ<。) 
    1/7 10:02

    私は熊本県に住んでいます
    住んでいながら…そのような素晴らしい方がいらっしゃったことを全く知らなかった事を大変恥ずかしく思いました。

    心が洗われるような文章ありがとうございまし

    もっとちゃんとしないと恥ずかしいな、今はまだ漠然とそう思っただけですが…でも、確かに私の心に残りました
    少しでも変わらないと。
    ありがとうございました

  • 2タンコ 
    1/9 23:39

    愛情を 持って 人の心を 癒してこられたんですね

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