先日、沖縄の復帰40周年が行われていました。

  • 木下博勝 公式ブログ/先日、沖縄の復帰40周年が行われていました。 画像1
毎月、沖縄本島に行って、毎回ウチナンチュー(沖縄生まれ、在住)の方と、お話をしています。基地問題、日本国に対する思い、本音と建前はあると感じますが、やはり現場に行って、現場の声を沢山聞くと、現在のマスコミの報道とは、大きく違うと感じます。

そんな中で、今日も致知から勉強させていただきます。



「ひめゆり学徒たちの祈り」


本村つる(財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会理事長、
              ひめゆり平和祈念資料館元館長)

               
ひめゆり学徒だった私たちが沖縄戦の惨状を伝える
巡回展を行ったのは、平成二十二年(戦後六十五年目)のことです。
沖縄にはいまも多くの米軍基地があります。
激しい地上戦を体験しているため、
我々世代の県民は決してあの戦争を忘れてはいません。

しかし昨年、新聞社の方から
「今年は戦後六十五年目の節目ですよ」と言われた時、
私は「あぁ、もう六十五年か……」と
不意を衝かれたようになり、

「次の七十年の節目には
 元気な声を聞いてもらえないかもしれない。
いまの若い人たちに戦争の惨めさや恐ろしさを伝えるには
 いまがいい機会かもしれない」

と、三十年ぶりとなる巡回展
(前回は朝日新聞社主催「ひめゆりの乙女たち」展)を
開くことを皆で決めました。

戦時中、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から
沖縄戦に動員されたひめゆり学徒二百四十人のうち、
百三十六人は戦死。

その悲惨な体験を証言している元学徒の数はだんだん減って、
私を含め十四人になりました。

巡回展では沖縄戦で亡くなった友人たちの遺品を展示し、
私たちも証言者として全国五か所を訪れました。
企画に当たっては、体験者と学芸員が一緒になって
綿密な話し合いを重ねました。

実際に主として動いてくれたのは、
次代を担うひめゆり平和祈念資料館の学芸員の皆さんです。
私たちは元気なうちにすべてのことを
学芸員にバトンタッチしなければと考えていますが、
その点でも非常によい機会になったと感じています。

私は戦後、小中学校で三十一年間教壇に立ち、
退職後にひめゆり平和祈念館資料館の運営に関わってきましたが、
自分の戦場体験を語れるようになったのは
戦後四十年を経てからのこと。

それまではあまりの辛い記憶に、
親しい友人や家族にすら話をすることができませんでした。

特に忘れられないのは、ある友達と、
死ぬ時は一緒にねと交わした約束のことです。
私たちは壕の中で看護活動に当たっていましたが、
解散命令が出たので、壕の外へと飛び出しました。

その際、一緒に壕を出た友人の一人が敵弾を受け、
負傷してしまったのです。

まったく身動きのできなくなった彼女を
担いでいくわけにもいかず、


「このお友達をしばらく預かってください。
 後で迎えに来ますから」


と近くの海岸防備の兵隊さんにお願いし、
その場を離れました。

ところが爆撃がおさまった頃になって
彼女の元へ戻ろうとすると、
そこは黒煙がもうもうと立ち上っています。

おそらく米軍の火炎放射器で焼かれてしまったのでしょう。
友達との約束は結局果たせず終いでした。

このことは戦後も心中深く残り、
あの時は仕方がなかったと言えるのどうか、
これは弁解じゃないのか……。
私もそこに残るべきだったのじゃないか、
という後悔の念が胸を去りませんでした。

生き残った私が戦争について語ること自体、
非常に強い葛藤があります。
元学徒たちは皆、少なからずそういう体験を抱えています。

私が長い間、戦争について語れなかったのも、
亡くなってしまった人たちに対して、
自分の生き残ったことが大変すまない、
申し訳ないという気持ちがあったからです。

しかし戦後四十年近くが経った頃、
恩師の仲宗根政善先生がひめゆりに関する本を
出版されたりしたことから、
資料館を建てようという動きが起こりました。

といっても、校内にあった現物資料は皆、
戦火で焼失しています。

自分たちのいた壕へ行けば、
遺骨や遺品が見つかるかもしれないと
戦後四十年目に皆で元いた壕に入りました。

筆箱や三角定規などの学用品・櫛・鏡・時計等を収集しました。
中には記名が残っているのもありました。
戦争が終わったら、学校に戻って
また勉強するのだという考えで
大事に携えていたのでしょう。

それらを拾った時に、私は、
自分たちがちゃんと伝えなければ、
という気持ちを強く感じました。

資料館の開館から今年で二十三年が経ちますが、
来館された方々から
「どうすれば平和な世の中になりますか?」
という質問をよくいただきます。

大変答えにくい問いですが、私はそんな時、


「戦争の実相を知ることと、
 戦争の惨めさや平和の大切さを、
 展示物や証言者の言葉を通して
 体得してもらえるものがあるはずです。

 平和な世の中にするにはどうすればとは、
 自分が考えることだと思います」


と答えるようにしています。

戦争を知らない世代の人に、
その体験を伝えるのは難しいことですが、
私たちはこれまで学芸員の人たちと戦跡を辿りながら、
現場で証言をしてきました。

最近では彼らも戦争のことだけでなく、
私たちのそれまでの人生や、
生きてきた思いを知ることによって、
すべてを受け継いでいきたいという思いで
いてくれているようです。

当館では、来館した方に感想文を書いてもらっています。
毎年二万通ほどありますが、
それを三百ページほどの冊子に纏めています。

私たち元学徒は、あの戦争で亡くなった方たちの
もの言わぬ声や思いを伝える代弁者でもあります。
そうした活動の一つひとつが彼女たちへの
鎮魂になればと願いながら、
平和の大切さ、命の尊さを語り続ける日々です。


 
  • コメント(全19件)
  • 慈崢(じそう)ゲームお誘い×m(_ _)m 
    5/21 14:01

    戦争は、国という概念がある限り、無くならないと思います

    国を廃して県を置く

    政府は地球で一つだけにする。

    世界連邦政府の概念ですが、人が相手のことを思いやり、相手の立場になり、同時に自分も立てていくという、我も良し他も良しの精神を体得しないと、
    実現は難しいでしょう。

    人類共通の危機が来ないと、そうはならないでしょう

    その人類共通の危機ですが、今まさにやって来ようとしているように感じるのは、僕だけでしょうか
  • カール 
    5/21 14:07

    ひめゆりは僕もはかりますが悲しい過去の歴史ですね。かおる。∋
  • カール 
    5/21 14:11

    追伸僕も分かりますが、字のあやまちお詫びします。
  • 椰子☆グリーまだ有ったの?浦島太郎 
    5/21 14:29

    先生こんにち

    私も沖縄へ行ったとき、壕のそばまで行き、ひめゆり記念館へ行っていろいろ考えさせられました。

    前はあまり気にしたりしなかったけど、沖縄旅行を期に琉球の歴史や文化を知りたくなりました。

    時々スカパーのドキュメンタリー番組で当時アメリカ軍が撮影した沖縄地上戦の特別番組を見たりします。

    沖縄の人は 地上戦後半、当時の日本軍の教えで沢山の人たちが自害しました。

    あの頃はそんな風潮だった
    と思ったらそれまでですが、戦争が終わって、67年、きれいに澄んだ空や海を見てると、何でこの島で‥って思えば、旅行で出向いた本土の人間でさえ辛くなったりもします

    本土にもアメリカ軍の基地がありますが(航空ショーなとイベントで出向いたりします)、地上戦での忌々しい記憶がある沖縄の人たちと、本土の地域の人たちとの温度差、やはり大きいと思う

    現在中国の海域問題とかも出たりしてるので私的にはアメリカ軍の完全撤退は無いにしても、もう少し規模の縮小を願いたいです。

    何を書きたいのかひっちゃかめっちゃかになりました(汗)


  • はばたん 
    5/21 14:38

    ひめゆりは悲しい歴史だよ

  • ナデチャン 
    5/21 16:44

    ひめゆり行たこと事あります。

  • MARIA 
    5/21 17:25

    海が綺


    今からの幸せをかみしめて
    下さいo(`▽´)o
  • ぴよちゃん 
    5/21 17:50

    世界ではまだ戦争が続いています


  • ヒーロー 
    5/21 17:59

    基地がなければいいのにな
  • Б(アプリへの誘いはスルーします) 
    5/21 19:54

    沖縄には「命(ぬち)どぅ宝」という言葉があります
  • れい 
    5/21 19:58

    ひめゆりに、行ったことあります。平和公園❓も。胸が締め付けられそうになりますね。サイパンにも、行きました。
  • 尊徳(敬天愛人) 
    5/21 20:41

    アメリカ軍が沖縄から撤退したら、支那は西沙諸島や南沙諸島のように調査船を出して尖閣諸島を調査して取り、沖縄まで向かってくるでしょうね


    なぜなら、支那は92年に領海法というものを出しており、その中には南シナ海はもちろん、尖閣諸島も支那のものとしています。


    そのような中で、沖縄を再び戦地にしたくないからこそアメリカ軍撤退など有り得ません。


    それには、生きている者同士の「横の民主主義」だけでなく、自分達の先祖や子孫だったらどう考えるかといった「縦の民主主義」という視点も踏まえて議論をすると共に、「自ら反みて縮くんば、千万人といえども吾れ往かん」という気概が必要ですね
  • サクラ 
    5/21 21:56

    沖縄って、良いですね♪

  • ユジン(o^^o)  
    5/21 22:33

    沢山の尊い命
    無駄死ににならないよう

    戦争の残酷さ
    無意味さを伝え続けなくては…

  • MICH!! 
    5/21 23:58

    沖縄は中国に狙われてますね。沖縄を守らないと!
  • 42 
    5/22 01:44

    とても難しい問題です…。
    国益を優先するならば、基地は沖縄に在ってこそ、活きて来るもの…。
    ただ、沖縄県民の方々の気持ちを優先するならば、あの地に基地は無い方が好ましいでしょう…。しかし、昨今の中国の動向を注視すると、やはり彼の地に基地は必要でしょう…。
    う…うーん
    しい…
  • アルプスの少女ハイジ 
    5/22 10:28

    きのぴー先生
    はようございます
    帰したあの頃
    学6年生だったと思います
    れから
    日は流れまし
    戦争の話しを
    くなった祖母や父からいっぱいききまし
    その話しを娘
    戦争を知らない今の子ども達にも
    えていきたいと改め
    思いました
    もうす
    慰霊祭
    争のない平和な世界
    んなで考えたいです


    ありがとうございました


  • ミント(睡眠不足で疲れ気味) 
    5/24 08:52

    とても難しい問題ですね。
  • ^ ^ 
    5/24 21:14

    辛すぎて思い出したくない…でも忘れてはいけない…とてもやり切れない思いです……
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