不覚にも風邪をひいてしまいました。寝込むほどではありませんが、自己管理不足だと反省しております。 今朝も、愛読書、致知より、学ばせていただきます。 「お客様が先、利益は後」 宇都宮恒久(中央タクシー会長) 『致知』2012年3月号 MKタクシー創業者の青木定雄オーナーとの出会いです。 創業して1、2か月たった頃、友人から 凄いタクシー会社があると聞いてビックリしまして、 アポイントも取らずに夜行列車を乗り継いで京都に行ったんです。 京都駅からMKタクシーに乗って本社まで伺ったんですが、 早速驚いたのが、助手席の安全枕に 「お客様へのお願い」とありましてね、 次の4つを怠った乗務員には運賃を払わないでくださいとあるんです。 ・「ありがとうございます」と挨拶をします。 ・「MKの○○です」と社員名を明らかにします。 ・「どちらまでですか」と行き先を確認します。 ・「ありがとうございました。お忘れ物はございませんか」 とお礼を言います。 感服しながら本社に着いたのですが、 やはりオーナーはご不在で翌朝3、40分なら時間を取れると。 その日は市内で何度もMKの車に乗り、 行き届いたサービスにつくづく感服しました。 翌朝お会いするとオーナーは開口一番 「君、年はいくつだ?」と聞かれました。 28歳で、まだ10台しか車を持っていないと申し上げると、 「そうか、実は私も32歳で始めた時はやっぱり10台だったんだ」 とたちまち話が弾んで、3、40分の面会予定が 3、4時間になったんです(笑)。 以来30年、青木オーナーを師匠と思い定めて 毎月のように通い詰め、頑張れ、頑張れと 励まし続けていただきました。 その青木オーナーからある時、 今度こんなことをやるんだと紹介されたのが 空港便だったのです。 数人乗りのジャンボタクシーで お客様をご自宅から空港までお送りするサービスで、 素晴らしい業績を上げている。 ぜひ君もやりなさいと。 ところが地元の松本空港では便数、乗車率ともに 低くてとても採算が合わない。 諦めかけたところでパッと浮かんだのが、 成田空港だったんです。 すぐに長野から成田まで走ってみると、3時間半で着きました。 これならいけるということで、価格を JRより安い8500円に設定し、24時間受付、 1名様からでもお送りするということで立ち上げたんです。 【記者:1名でも採算は合うのですか?】 1名の時は難しくても、トータルでは利益が上がるのです。 けれども当初はほとんど引き合いがなく、 やればやるほど赤字が積み上がりました。 3、4か月も続くと、やめたほうがいいかなと迷い始めたんです。 そんな時に出合ったのが宅急便の生みの親・ヤマト運輸の 小倉昌男さんの本でした。 宅急便も最初は5年間も赤字が続いたそうです。 しかし、それでも必ず逆転をすると信念を貫いて、 ついに翌日配送のシステムを確立したとのことでした。 その話に意を強くして、もう少し粘ってみようと思い直したわけです。 その小倉さんが赤字の時に言い続けたのが、 「サービスが先で利益は後」 ということでした。 それに感動して当社も 「お客様が先、利益は後」 という理念を掲げるようになったのです。 おかげさまで空港便は半年後に黒字転換し、 いまでは毎日35台、ハイシーズンには 45台くらい走らせています。 ご注文数では1日350件にも上ります。 新潟エリアにも1日70台くらい走らせ、 空港便は売り上げの6割を占める事業の柱になりました。 |
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