僕の大好きな、致知の過去の随想から紹介をさせていただきます。

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「コンプレックスを力に」
 若山弦藏(声優)


『致知』2001年4月号「致知随想」
    

声優の道を歩み始めて五十年近くになる。
昭和三十二年に札幌から上京。

NHKのラジオドラマで主役に起用されたのを皮切りに、
『スパイ大作戦』『007』シリーズなど、
海外の人気作品の吹き替えを数多く手がけてきた。

いまもレギュラー番組を持ち、第一線で仕事を続けている。

声優というからには、さぞかし声に自信があるのだろう、
と思われるかもしれない。

しかし私は、自分の声をいまだに
いい声だとは思っていないし、
この声には若いころからずっと
コンプレックスを抱き続けてきたのである。

私の独特の低い声は、小学生のときに
声変わりをして以来のもの、である。
しゃべるたびに変な声だと笑われて
自閉症ぎみになり、いつも独りで本を読んだり
レコードを聴いたりして、孤独な思春期を送った。


高校二年生のときである。音楽の授業で、
一人ずつ前へ出て課題曲の『浜辺の歌』を
歌わされることになった。

私の番になると、級友の間からクスクスと笑い声が起こり、
歌が終わるころには教室中が笑いに包まれていた。

しかし、先生は私にこういってくれたのである。


「あなたはいま、他の人より一オクターブ下で歌ったんです。
 あなたのような声を本当のバスというんです。
 日本人にはとても珍しい種類の声だから、大切にしなさい」
 
 
それまでずっと、自分の声に悩んできただけに、
その先生の言葉は強く印象に残った。
そして、何とかこの声を生かす道はないか、
と私は模索し始めた。

たまたまNHKの朗読放送研究会が会員を募集していることを知り、
清水の舞台から飛び降りる思いで受験に行った。

後から聞いた話だが、四人の審査員のうち三人までが、


「こんなマイクに乗らない変な声は
 使いものにならない」
 
 
といっていたらしい。

しかし一人だけ、これからは多彩な人材が必要に
なるから、といってくださる方がいて、
何とか採用されることになったという。

研究会に通ううちに、私は声優という仕事に夢中になり、
高校卒業後は、地元札幌のNHK放送劇団に入った。

しかし、もらえる役は老け役、悪役ばかり。
周囲からは「お前の声は主役の声じゃない」などと、
なかなかよい評価はもらえなかった。

それでもくじけなかったのは、指導を受けていた先生から、


「俺は二流の役者を育てに来たんじゃない。
 お前らは必ず一流になれ」
 
 
と繰り返しいわれ続けていたからである。
それがいつの間にか、自分自身の信念となっていた。

私は、声楽のレッスンで声に磨きをかけつつ、
この仕事で身を立てるなら、やはり東京に出なければ、
と考え始めた。

とはいっても、特別当てがあったわけではない。
まさに背水の陣を敷いての上京であった。

幸いにも、フランク永井や石原裕次郎の歌のヒットで
低音ブームの時期に当たり、私の声も
ついに認められるところとなったのである。

意識したことはなかったが、振り返ってみると、
今日までレギュラー番組の仕事が途絶えたことは一度もない。

上京したときから常に、
「今日しくじったら明日の仕事はない」と
自らにいい聞かせ、常に真剣勝負で仕事に臨んできたことが
よかったのだと思う。

この気持ちを持続させるため、
私は二つの課題をつくって自分を律し続けてきた。


一つは絶対に遅刻しないこと。

もう一つはNGを出さないことであった。



前者はともかく、後者はかなり厳しい課題であった。
吹き替えの仕事の場合、途中で何度も
やり直しがきくいまと違って、
当時はいったん録音が始まれば、
十分から十五分のロールが終わるまで、
途中でNGが出るたびにもう一度最初に戻って
やり直すしがなかったからである。

加えて、台本のできも仕事場の環境もひどいものだった。
それでもNGを出さないためとにかく神経を研ぎ澄ま
し、集中して取り組む以外に方法はない。

常にその姿勢で仕事を続けていくうちに、
「弦さんはトチらない」という評判が定着していった。

もっと気楽にやれば、といわれることもあった。
しかし私は、自分で決めた課題を、
何が何でもやり通さなければ気が済まなかった。

それは私の性分でもあるが、
やはり自分の声にコンプレックスを持っていたことが
大きいと思う。

いまでは、コンプレックスを背負ってきたことが、
逆によかったのではないかとさえ思えるのである。

生まれつきの美声で楽々と仕事のできる同業者も多いなかで、
私はまず、この変な声を磨き上げることに
大きなエネルギーを費やさねばならなかった。

ハンディを克服する努力を怠りなく積み重ねてきたからこそ、
今日まで第一線で活躍することができたと思うのである。

先日アメリカで、ラジオの人気番組を長年やってきた
八十二歳のパーソナリティーが、
契約金百億円で向こう十年間の専属契約を結んだ
という話を聞き、いたく感銘を受けた。

私もまだまだ負けるわけにはいかない。
これからは、吉川英治などの長編の朗読や、
後継者の育成などにも取り組んでゆきたい。

そして仕事を通じて、最近とみにひどくなった
日本語の乱れを正してゆけたら、と思っている。

若山弦藏という一人の人間が、
残りの人生で後世になにがしかのものを
残すことができれば、望外の喜びである。

 
  • コメント(全13件)
  • ひーちゃん 
    6/19 10:48

    前向きに取り組むことが大切なんですね

  • てんしき桜 
    6/19 10:53

    先生おはようございます
    もありますよ
    んなの前で1人で「浜辺のうた」歌うテスト…懐かしい

  • よし 
    6/19 11:54

    コンプレックスを力に変えた若山さんも素晴らしいですが、その若山さんに生き方を種を蒔いた高校時代の先生も素晴らしいと思いま



    真の教師です

  • 北方一郎 
    6/19 13:20

    NHKの森田美由紀アナウンサーも低音で苦労していたことを思い出しまし

    努力に偶然がついてくるんですかね…
  • ヨットさん 
    6/19 13:39

    キノピー先生のコラムに感銘を受けています。無理せず、続けて下さい。内容は違ってもいいですよ

  • 芋奉行 地震雷火事コロナ((゚□゚;)) 
    6/19 14:02

    キノピーお久しぶり

    私は本とかあまり読まないのでここに来るとためになります


    私もコンプレックスだらけです

    何かに役立つ様なものは…
    無い

  • *.花.* 
    6/19 14:24

    よいお話です

    コンプレックスは裏返せば個性に繋がりますから、何事も解釈次第で良い方へ転換できるっていうよいお手本です


  • らちぇっと 
    6/19 15:28

    ワタクシ、先生のブログにいたく感動して致知を購読することにしました。

    同じお金を使うならワタクシの人間力を上げる為に使おうと思いました
    ありがとうございま



  • ☆SHIZUKA☆ 
    6/19 15:30


    あの
    山のぶ代さん

    ちょっと(*^ー^*)浮かんだり


    彼女も声に関しては当初
    散々
    われたみたいで←
    あるトーク番組で仰ってました

    私の中では いまだ
    の声
    彼女以外ありえません

  • ふにゃんふにゃん 
    6/20 01:37

    感動しました


    コンプレックスがあるから、他の部分で努力しようという気持ち、
    コンプレックスが、ある人からみたら、長所であると言う事

    やりたい仕事がやれたのは、天才的な才能ぢゃなく、日々の遅刻をしないなどのあまり前のマナーを守っていたと言う事
    素敵な話です


    私も、尊敬してる先輩から「Mちゃんの行動がゆっくりなところが好き」と言われた事があります


    凄く意外で嬉しい言葉でし

  • 42 
    6/20 10:08

    「努力に勝る才能なし」ですね☆
  • やっさん 
    6/20 19:11

    この雑誌の表の顔は読みやすいですよね

    世間一般人が否定しにくい好感の高い成功した人が、少しためになる良い話(より好感をあげやすい苦労話含む)をしみじみ語

    徹子の部屋

    ネタもエンドレスだから長寿出版可能ですね

    でもね

    エンターテイメントとしてご紹介下さい

    この雑誌で教育をかたるのは…薄っぺら


    全ての人が成功者ではない
    雑誌掲載者と同じ志を持って努力しても、全ての人が成功する訳でもない

    今傷を持った学生に対応する為の、いくつもの違った方向のバックアップをできるかぎり用意して、試行錯誤しながら多様な選択肢をご用意下さい


  • トロル 
    6/22 16:18

    学校の先生の言葉は
    特に思春期の生徒の心に響くものです。
    先生によってその教科を好きになったり
    嫌いになった
    学校が好きになった
    嫌いになった
    部活を頑張る気持ちになったり
    だらけたり
    今時代
    先生の影響は大きい
    思います。
    でも‥実際の
    先生自身今の子供はそんなんじゃないで
    と言葉をもらった時
    先生自体冷めてると
    思い
    寂しかったです。
    すごく良い先
    生徒に熱心な先生
    あっというま
    公立学校辞めてしまって
    私立に行ってしまいました
    私の子供 二人とも
    私立にあげました!
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