愛読書、致知より、「本当の学びとは」日本人ではない方が、日本の武道からその精神、極意を体得されたのには驚きました ジャック・パイエ(合気道無限塾主宰) 『致知』2008年11月号「致知随想」 私が合気道という言葉を知ったのは約三十年前、 大学生の時でした。 ブルース・リーに魅せられて フランスの古武道の道場に通っていた私に、 ある道場生がビデオを見せてくれたのです。 そこには道着に袴姿の小柄な年配の男性が登場していました。 驚いたことに、その男性は何人もの大男を、 目にも留まらぬ速さで次々に投げ飛ばすのです。 しかも、表情は穏やかで、その動きに少しも無理がありません。 思わず目を見張りました。 と同時に「これはインチキではないか」という疑問が湧き、 ぜひ日本に行って確かめてみたいという衝動に駆られました。 いま振り返ると、この時の思いが私の人生を決めたのだと思います。 その武道家は塩田剛三という、その道の達人でした。 若くして合気道創始者・植芝盛平先生の門を叩き、 内弟子として技を究められた方でした。 塩田先生に会いたいという思いは日に日に募り、 僅かな貯金を手に、大学卒業と同時に フランスから日本へと飛び立ちました。 その頃の私は日本に対する知識は皆無に近く、 日本語も喋れません。インターネットなどない時代です。 来日に当たっては日本の知人に先生が主宰する 養神館(東京)の連絡先を調べてもらい、 自分の足で探し回って入門を申し込んだのです。 近くに安いアパートを借り、道場には毎日足を運びました。 ビデオで見た華麗な演武に憧れて入門したものの、 日々の稽古は地味な基本技の繰り返し。 あまりの難しさに音を上げそうになることもありました。 道場の雰囲気に慣れ、仲間と打ち解けるようになった頃、 私は大きな壁にぶつかりました。 貯金が底をついたのです。 未練はありましたが、帰国の決意を固め、 先生のご子息・塩田泰久さん(現館長)にその旨を伝えました。 すると泰久さんは「そんなに合気道が好きなら」と 塩田先生を紹介くださいました。 この時、先生にかけていただいた言葉は 終生忘れないでしょう。 「あなたにチャンスを与えます。 三か月間、道場で寝起きして稽古をしなさい。 ただし朝早く起きて掃除をし、 一日六時間の稽古に出るんですよ」。 私は胸が熱くなりました。 以来、道場一階の部屋で他の内弟子と寝食を共にしながら、 毎日六時間の稽古に汗を流しました。 三か月の約束は四か月、五か月と延び、 一年経った時に、内弟子として認めていただいたのです。 私たち西洋人は、頭で考え納得できるもの以外は なかなか受け入れません。 しかし道場には、技を細かく説明してくれる 先輩はいませんでした。 「技は盗むもの」と教わり、先生や先輩の動きを観察し、 見様見真似で技を身につけねばならないのです。 入門から数年が経ち、技が上達してくると、 塩田先生に随行し、演武の受け身を 取らせていただく機会も増えてきました。 技のタイミングやスピードを直接学べるのはもちろんですが、 それ以上に先生の日常生活に教わることが数多くありました。 先生は 「行住坐臥一切の時勢これ最善の道場」 という禅の言葉を好んで口にされ、 それだけに日常生活のすべてを修業と考えておられました。 内弟子にとっては、そういう師の呼吸を一瞬にして掴み、 先を読んで行動するのも大切な修業です。 例えば、先生が事務室を出られる時は、 必ず先回りしてタイミングよくドアを開けねばなりません。 広い事務室には三つのドアがあり、 先生がどのドアから出てこられるかを 足音や気配で敏感に察知して、即座に動く。 風呂に入られる場合も同様で、 先生が入られる時間を見計らい、最高の湯加減でご案内する。 ご多忙な先生は接客などが長引くことも多く、 先を読んで動くのは大変でした。 しかし、一瞬でもタイミングを逃すと 内弟子として失格だと自分に言い聞かせていましたので、 常に真剣勝負の気構えで臨みました。 不思議なことに、こういう訓練を重ねるうちに、 道場でも相手の呼吸や動きが 自然に読み取れるようになったのです。 またそのことで先生の信頼を得られたのは 何より幸せなことでした。 通算八年間の内弟子生活を終えた私は ヨーロッパの道場で指導をした後、 二〇〇〇年にロサンゼルス、 二〇〇六年には京都で道場を開設しました。 現在も大学で仕事をしながら 二つの道場で指導を続けていますが、 合気道中心の生活は決して楽ではありません。 家族を養うために副業を優先し、 三年ほど稽古を休んだ時期があります。 そういう時は、職場を道場と思い、 仕事に打ち込みました。 パソコンを打つ場合は身体のバランスを取る、 歩く時には身体の中心線を意識するといった 武道の基本を絶えず意識したのです。 三年後に稽古を再開し、久々に参加した演武会では、 美しい技を披露することができました。 合気道を通して、私は「学ぶ」とは どういうものかを教わりました。 月謝を払い、それに見合う分だけ 手取り足取り教えてもらう ギブ・アンド・テイクの考えだけでは、 本当のものは伝えることができません。 大事なことはあくまで「ギブ」であり、 「テイク」ではないということで、 与えれば与えるほど多くのものが 自分のものとなって戻ってくるのです。 また師と一体となって教えを素直に受け入れる、 教わるのを待つのではなく、 すすんで盗み取ろうとする姿勢が学びの原点なのだと思います。 合気道は和の武道と言われます。 相手を力ずくで倒そうとせず、 一つになる気持ちがあって初めて技は相手に通用します。 塩田先生は会った瞬間、相手と一体になれる方でした。 合気道の極意について先生はある時、 「自分を殺しに来た人と友達になるのが最強の技だ」 と話されたことがあります。 それを思うと、 この道は限りなく深く修業をゆるがせにできません。 |
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