GWはいかがお過ごしですか?ちょっとだけお時間を頂いて、致知の随想を紹介します。

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 「古刀に挑む」
   天田昭次(人間国宝 <刀剣作家>)

『致知』2011年5月号「致知随想」


 刀と私との出合いは、戦前にまで遡る。
 父は田舎の鍛冶屋でありながら独学で作刀を始め、
 わずか二、三年のうちに日本刀展覧会で
 文部大臣賞を取ってしまった。
 
 ところが私が十二歳の時、父は三十八歳の若さで亡くなり、
 母は「おまえは鍛冶屋にしたくない」と漏らしていた。

 しかし、これも運命というものだろう。
 後に私の師匠となる刀剣作家の栗原彦三郎さんが
 父の墓参に来られ、私の姿を見られたのである。
 
 「おまえ、いくつだ? 小学校を終わったらすぐ俺ン所に来い」。
 
 母は上級学校まで行かせたがったが、
 師匠は私を夜学に通わせる約束をし、
 上京の手筈を整えてくれた。

 しかし実際に作刀を教わるようになったのは何年も後のこと。
 私は行ったその日から、師匠の按摩ばかりをさせられた。
 
 やっと仕事場に入れてもらえるようになったと思った矢先には、
 太平洋戦争が勃発。敗戦で辺りは焼け野原となった上、
 占領軍によって武器製造は禁止され、我々の鍛錬所も解散となった。

 日本刀を美術品として製作するのが許可されたのは、
 昭和二十九年のことである。
 
 その間十年近く、私は故郷の新潟で農具や刃物を作りながら、
 なんとか糊口を凌いだ。
 
 刀作りを廃業して会社勤めを始めた者もいたが、
 私は火の神様、鍛冶屋の神様から離れることはしなかった。
 翌年、第一回の刀のコンクールが開かれ、
 私の出した作品が優秀賞に選ばれた。

 
 昭和三十二、三十三年も同賞を取り、
 いささか有頂天になってもいた。
 
 しかしある時、ふとこんな疑問が沸いたのである。
 自分の刀は、現代のレベルではたまたま優秀賞を取れた。
 
 しかし鎌倉や南北朝時代の刀と比べると、
 まるで問題にならないじゃないか。
 このままの状態でいたのでは、
 自分は大した価値のある人間にはなれないだろう、と。

 そこから、古い時代の刀を模索し、
 現代に再現するという途方もない闘いが始まった。

 ところが、古刀を毎日毎日見ていると、
 あまりにも謎が多いことに思い至る。
 
 現存する千年も前の刀が、現在になぜ作れないのか。
 便利な道具など何ひとつなかった時代の刀に、
 我々はなぜ遙か及ばないのか──。

 そうした謎を解くために、まず取り組んだのが、
 自分自身で鉄を作ってみることだった。


 だが、「鉄を制する者は国を制する」と
 いわれた時代もあったように、
 自家製鉄というものは生易しい世界ではない。

 古い文献を頼りにレンガで小さな炉をつくり、
 そこに木炭と砂鉄を交互に入れて、ふいご(送風機)で吹く。
 何日も寝ずに過酷な作業を繰り返さねばならず、
 その無理が祟って肋膜炎から結核を患った。
 
 しかしそれでもなお止めずに続けているうち、
 とうとう十年間の闘病生活を送る羽目になってしまったのである。

 もちろん、私の闘いはそこで終わったわけではない。
 四十二歳でカムバックするや否や、居を移して作刀を再開。
 
 「名刀はよい地鉄から生まれる」という信念のもと、
 青森から種子島まで砂鉄の蒐集に明け暮れる日々だった。

 鉄を真っ赤に焼いて入れるその水は、
 水道の蛇口を捻ればいくらでも出てくる。
 しかし水道水ではどうも調子がよくない。
 そこで昔の刀匠がしていたように、
 大寒の水を山中まで汲み出しに行く。
 
 その水を桶に置いておけば、一年以上置いておいても腐らない。
 そんなふうに、とにかくよかれと思うことを
 一つひとつ虱潰しにやっていった。

 やがてこの自家製鉄によって作られた刀は、
 刀匠界のグランプリとされる「正宗賞」にも三度輝いたが、
 これも古刀と比べればやはり問題にはならない。
 一体、何が違うのか。
 
 例えば日本の刀は、砥石を十数種類も用い、
 鎬の部分の光、刃の光、中間点はまた別の光と、
 細い鉄の中で「光」をいくつも区分している。
 
 外国の刀には見られない特徴である。
 そのことは、命のぎりぎりのやりとりのところで
 日本刀が存在したことと、決して無関係ではないだろう。
 死に装束的な意味合いも、
 あるいは込められていたのかもしれない。

 昔は刀匠も滝に打たれたり、水垢離をしたと聞くが、
 戦の中で現実に命のやりとりをする道具を作る、
 
 それゆえに刀匠と刀を持つ者との間には一体感があった。
 その切迫感こそが、本物の美を
 醸し出していったとも言えるかもしれない。

 作刀を始めて、昨年でちょうど七十年。
 
 その間、背中のほうからは「悔しかったらやってみろ」
 という声が絶えず聞こえていた。

 技術の世界では、あいつがやって俺ができないことはない、
 という気概と自負を持つことが、
 その力をさらに磨き高めていく。
 
 ならば、昔の刀匠のしたことが、いまできないわけがない。
 その製作者の心意気こそが、ものづくりにおいては肝心要である。

 己の未熟さを省み、年を追うごとに苦しみは
 一層増すばかりだが、ここで負けてなるものかと、
 さらに踏み込んで努力を続けていきたい。

一つの事に命をかける、これが一生懸命と言うと僕は思います。

 
  • コメント(全15件)
  • BMW740改投資家青年社長謎★ゼファー1100改 
    5/1 11:42

    命をかける事をした戦歴でもあるようですね 
    靖国神社では戦時中の戦闘機に乗り零戦に乗って戦闘した人をどう思うか議論されるのですか
  • きんた 
    5/1 12:18

    連休は仕事がなくて困ってますよ

  • 《ホッと一息》 
    5/1 12:50

    知らない世界が…覗けまし


    凄い執念の職人の世界ですねm(__)m
  • 猫になりたい 
    5/1 12:58

    己の未熟さを省み、年を追うごとに苦しみは増すばかり...
    なのかもしれませんが、命を賭すことができる仕事に巡り合え幸せだと思います

    凡人の自分は今の仕事を精一杯やろうと思います。
  • オネムッシー(クリのみ) 
    5/1 14:37


    GWも勉強ですか〜?
    GWくらいはタイシくんと遊びましょう


    .
  • はつ 
    5/1 14:45

    幾つになって
    終わりはない
    ですね


    その言葉を
    念頭におき
    人生経験を
    積み上げます
  • 旅人 
    5/1 15:45

    素晴らしい話しですね…私も刀が好きで、集めはじめたのは二十歳の時からです。その頃、鎌倉時代のもので「無名」でしたが、震えがくるような名刀に市で出会った事があります
    とても買える値段では有りません…後日お金が出来てから再び訪ねて行くと、既に手放されたあとでした!
    名工が命を削って作った刀は背筋が寒くなるほど凄味がありました
    27才で事業を始める時に、刀を全て手放し、収集する事は止めましたが、今でも中国・四国・九州に行くと血が騒いで困ります
  • 奈知() 
    5/1 15:57

    常に最善を尽くし
    常に高みを目指し
    日々精進すること…

    なかなか現代を生きる若者世代は一つの物を作る事にそこまで出来ないでしょうね…

    何故でしょう

    物が溢れてる事や
    何をするにも選択肢が増えている事が関係しているのでしょうか…
  • レントワ 
    5/1 18:19

    胃腸炎になって苦しんでま

  • よし 
    5/1 19:26

    先生、改めて「徹する」ことの大切さに気づきました


    僕はまだ、今の仕事を「道」にまで高めていません


    まわりのみんなが感化するように徹しま


    今日もありがとうございました

  • ひーちゃん 
    5/1 19:56

    友達は内地に住んでいて、家事や育児やに忙しいので、ごくたまにメールする程度の付き合いです。

    今日は雨降っていて、サザエさんをみました。


  • 42 
    5/2 00:06

    ただ流れで生きていくのでは無く、どう生きるかを考えながら、この世を生きていく事こそ、日々闘いなのだと改めて認識しました。

  • ひろ【スマホ修理中〜】 
    5/2 03:16

    いつも勉強になりま

  • さよなら 
    5/2 16:44

    よく分かるです。

    しかし、むなしく、悲しいお話ですね。


  • ブータン 
    5/4 10:53


    深いで

    読めば読むほど感じ方がかわります。


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