僕自身も、お礼状を書く機会がよくありますが、田中会長には到底追いつきません。
田中宏(田中三次郎商店会長)
「規模=ベリー・スモール
ロケーション=ローカル
しかし取り引きを考えるなら
タナカ・イズ・ベスト」
これは、シアトルのある会社が、
アジアでの取引先を決める際に参考にした、
米国商務省の調査書に記してあった当社の評価です。
福岡県西部の西鉄小郡駅から徒歩五分。
純和風造りの家屋に本社を構えるのが、
私が会長を務める田中三次郎商店です。
創業は明治十年、初代が小麦粉をふるいにかける
絹製ふるい網の行商で身を起こし、
事業を引き継いだ田中三次郎が
製粉工場向け絹網専業に移行して、
事業の基礎をつくりました。
現在は、ふるい網の技術を異分野に生かし、
水産増殖用タンクや血液用フィルターなど、
八種類の商品でそれぞれ国内シェア八割以上を占めています。
地方に会社を構え、社員わずか十二人の当社が、
おかげさまで海外からもお声がけいただけるような
会社になることができたのは、
追随する会社が少ない隙間市場を徹底して
追究してきた結果であり、
その原点は入社間もない頃の体験から得た
教訓にもとづくものです。
ふるい網は、戦後耐久性に優れたナイロンが
使われるようになると、買い替え需要が激減し、
同業者は次々と廃業に追い込まれていきました。
当社は終戦の年に三代目の父が若くして病没したため、
教員を辞めて跡を継いだ母が、全国に赴き
懸命に行商に励みました。
しかし時代の趨勢には逆らえず、
他の商売もいろいろ試みましたが
次第に事業は先細りしていきました。
大学を出て会社に入った当初、
詳しい内情を聞かされていなかった私は、
母がいつも売り掛け回収に飛び回っているのを
不審に思っていました。
ある時、県の税務課に勤める遠縁の方に
内密に相談したところ、この会社は一年持たないと言われ、
初めて経営の実態を知ったのでした。
程なくある大口顧客が倒産。
資金が回らなくなったのをいち早く察知した
大阪のあるお取引先が、夜中の二時に訪ねてこられました。
日頃「坊ちゃん、坊ちゃん」と愛想を振りまいていた人が
「おい、どうすんのや!」と大変な剣幕。
母が差し出した湯呑みを呑むや
「茶を飲みに来たんやないで!」
と私の顔に中味を浴びせかけました。
生きていくということは、生半可なことではない……。
社会の厳しさを思い知らされた私は、
それから一週間、食事も喉を通りませんでした。
* *
窮地を救ってくださったのが、
東京の第一化成工業株式会社の平沢春次郎社長でした。
当社と長年お取り引きくださっていた平沢さんには、
父を早くに失った私の後見人としてお世話になっており、
債権者の皆さんに会社存続への協力を
呼びかけてくださったのです。
「今後は息子の宏君に会社を任せたいと思います。
学校を出たばかりの彼では不安でしょうが、
今後、万一売り掛けの回収が滞った場合は私が全額保障します」
優良企業であった第一化成工業社長の言葉には、
万鈞の重みがありました。
お取引先は安心し、会社を立て直す猶予をくださったのです。
昭和三十六年、二十四歳の時でした。
私は平沢さんのご恩に報いるため、懸命に努力を重ね、
なんとか会社を立て直すことができたのでした。
三年前、平沢さんの訃報に接して上京し、
親族の方に当時の御礼を述べると、
どなたもこの一件をご存じありませんでした。
一つの会社を救った善行をひけらかすことなく、
心の内に留めておられた平沢さんの奥ゆかしさに、
心打たれました。
特別な才能もない私ですが、おかげさまできょうまで、
大事な契約に失敗したことも、
他社との競争に負けたこともなく、
ここまで事業を全うすることができました。
ツキに恵まれたとしかいいようがありません。
では、どうすればツキに恵まれるようになるでしょうか。
それは感謝に尽きると私は思います。
私は常々、生まれ変わってもまた同じ家族、
同じ社員、同じ仕事を選びたいと考えています。
それはこの人生に心底満足し、
自分を取り巻く人々に心から感謝しているからに他ありません。
その感謝の思いを、私は日々のハガキを通じて形に表しています。
ハガキを書くことを教えてくれたのは母でした。
初めて出張に出かける際に官製ハガキとペンを渡され、
出先からお客様にお便りを出しなさいと言われて以来、
私はそれを習慣としてきました。
海外に出張した時など、まず現地の絵ハガキを百枚くらい買い込み、
夜ホテルの部屋に戻ってから近況を綴りました。
社長時代は一年に二千四百枚くらい書いていましたが、
そのおかげで普通はお目にかかれないような方と
仕事をさせていただくご縁に、幾度となく恵まれてきました。
講演の機会などいただくと、よく冗談交じりに
「年に三千通書けば私に勝てますよ」
とお話ししますが、実行する人はいないようです。
単純なことほど実行するのは難しいことを実感しています。
当社は今年創業百三十二年。社長を継いだ長男には常々、
「社員十五人以下、年商十五億円以下、
申告所得五千万円を守れば会社はあと百年存続する」
と言い聞かせています。
いたずらに拡大することなく、己を知り、
感謝の気持ちを忘れずに、事業を通じて
社会のお役に立てる会社であり続けたいと願っています。
本もよ
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本との
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最近
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