イングヴェイ・マルムスティーン

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皆は知っているだろうか



イングヴェイ・マルムスティーンというギターリストを



簡単に説明しよう



さぁここで登場



wikipedia君



イングヴェイ・マルムスティーン
(Yngwie Malmsteen、本名Lars Johan Yngve Malmsten、1963年6月30日 - )

スウェーデン・ストックホルム出身のミュージシャンであり、ロック・ギタリスト。「インギー」の愛称で親しまれている(ただ、本人はこの愛称をあまり好く思っていないとされる)。ロック・ギターにクラシック音楽の要素を盛り込み、驚異的な速弾きでギター奏法に大革命をもたらした。日本でのみマイケル・シェンカーの「神」に対して「王者」と呼ばれる。

1963年6月30日、4人兄弟の末弟として出生。生まれて間もなく両親が離婚し、画家の母に育てられる。10歳までは軍人である父方の「Lannerbäck」姓を名乗っていた(「Malmsteen」は母方の姓の英語読み)。5歳の誕生日にはプレゼントとしてアコースティック・ギターを、翌年の誕生日にはトランペットを母からもらうが、どちらも興味がなく、やっても長続きしなかったという。
1970年、世界的なギタリストジミ・ヘンドリックスが死去。TVで彼の特集番組を見て、ギターに興味を持ち練習を始める。また、姉からディープ・パープルのレコードを貰い、ここでもまた大きな影響を受け、ギターのコピーをし始める。彼が音楽から影響を受けたのには、姉も関係していたようである。この頃からクラシックも聴き始め、ヴァイオリンの楽譜をギターで弾くことにも挑戦していた。
少年時代は、英語と美術の成績はすこぶる良かったものの、甘やかされて育ち、粗暴な少年で不登校気味であった。母親は学校に行かずに家でギターの練習をする生活を許した為、自宅でたっぷりとギターの練習をした。やがて学校の廊下をバイクで走るような問題児になり、15歳のときに学校を退学、ギター修理店でリュート製作をしていた。しかし、姉であるロロ・レナーバックへのインタビューによると仕事はしておらず、いつも自宅地下の練習場でギターを弾いており、食事は祖母に頼っていたとのこと

1983年、イングヴェイのデモテープを聴いたシュラプネル・レコーズのマイク・ヴァーニーの誘いでロサンゼルスへ渡る。地元のメタルバンド「スティーラー(Steeler)」に加入。同年これを脱退し、グラハム・ボネット率いる「アルカトラス(Alcatrazz)」に加入し名声を得る。

1984年、自らのバンド「ライジング・フォース(Rising Force)」を結成。デビューアルバム「Yngwie J. Malmsteen's Rising Force」をリリース。

1987年6月22日、彼の運転するジャガーが木に激突するという大事故を起こす。8日間にわたる意識不明の重体で、ギタリストの命である手(右手)に後遺症による麻痺も煩いリハビリで何とか克服するが、後のギタープレイに影響することになる。

1988年、4thアルバム「Odyssey」をリリース。同年、母リグマーが死去。

1989年、Rising Force解散。以降は彼自身の名で活動をしていく。

1990年、母に続き、兄ビヨンが鉄道事故により他界。

1993年、当時のイングヴェイの婚約者の母が、彼と婚約者との結婚に反対する中、「自分と娘は(イングヴェイに)暴力を受け監禁されている」と通報。一度は逮捕されるが、誤認と分かり釈放される。

1998年、現在のマネージャーである3度目の結婚相手・エイプリル夫人と間に長男が誕生。翌年、息子と共にBURRN!誌11月号の表紙を飾る。

1999年、アルバム「ALCHEMY」をリリース。これ以降はライジング・フォース名義で活動していく。

2008年、自らのレコードレーベル「ライジングフォースレコード」設立。


プレイスタイル

楽曲の特徴は、古典的なハードロックにハーモニックマイナー・パーフェクト・フィフス・ビロウというスケール(本人が言うところのフリジアンスケール)とアルペジオを主とした高速なギター・ソロが加わる所である。スウィープ奏法や、エコノミーピッキングなどのテクニックの存在を広く知らしめたとも言われる。インストゥルメンタルに於いては、大部分がインプロヴィゼーションに基づいている。その超絶なスケーリングは、19世紀の名バイオリニストであるニコロ・パガニーニの技巧に多大なる影響を受けたとされる。ジミ・ヘンドリックス、ウリ・ジョン・ロート、ジェネシス、ディープ・パープル、クイーン等の影響が強く、リッチー・ブラックモアが初期レインボーで展開した様式美路線を極端化させた作風で欧州や日本における人気を確立した。

2008年
自らが7歳の時にテレビで観てギターを始めるきっかけになったとされるのがジミ・ヘンドリックスである。またスケーリングやジミの解釈に多大なヒントを与えたのはウルリッヒ・ロートであるとの認識が一般的。マルムスティーン自身は(スウェーデン時代に初期スコーピオンズをカバーしていた映像が残っているにもかかわらず)ウルリッヒからの影響を初期には否定していたが、現在は肯定に転じ、敬愛するギタリストの一人として挙げている。
速弾きばかりが強調されがちであるが、メロディのセンスも秀逸で、かつブルースもプレイできる(アルバム「Live in Leningrad」の「Spanish Castle Magic」など)
使用機材は一貫してフェンダー・ストラトキャスターとマーシャル・アンプで、リッチー・ブラックモアの影響が大きい。2008年11月には以前メインで使用していた「DUCK」を傷などの詳細まで再現されたレプリカがフェンダーより定価180万円で発売された。 但し、ストラトキャスター以外にギブソン・フライング・Vやサンダーバードを使用していた時期もある。(アルカトラスでのライヴにて使用しているビデオ、写真が確認されている)
ピックアップは10代の頃から30年以上に渡ってディマジオ製の製品 FS-1、HS-1、HS-2、HS-3、HS-4(旧名 YJM) を使用していたが、2010年よりセイモア・ダンカンのピックアップ(YJM FURY STK-S10)も新たに使用することを発表した。
弦は1弦が.008~からというかなり細い弦(アニーボール社製の「エキストラ・スリンキー」というセット)を使用している。また彼のトレードマークとなっている「スキャロップド指板」によって軽いタッチで押弦出来ることからあの驚異的な速弾きが生み出される。軟らかいピックでフルピッキングフレーズを弾くとタイムラグが生じるので、ピックは1.5mm厚のかなり分厚い物を使用している。
嫌いな音楽は数あれど特に好きではないのはフュージョンだといわれている。理由は「ベースが調子に乗って前に出ているから」であるという。


いままでライブDVDを見たり、CDを聴いたりしたが…


半端ないね



神の領域で、世界が違うよ




寛生