被災地

  • 川久保秀一 公式ブログ/被災地 画像1
  • 川久保秀一 公式ブログ/被災地 画像2
  • 川久保秀一 公式ブログ/被災地 画像3
おととい仙台に歌いに行った次第ですが、夜行バスで行ったので朝到着というスケジュールを利用して、被災地域を見てきました。
行ったのは仙台の隣、名取市の閖上(ゆりあげ)という地域。ニュースでもとりあげられていましたが、仙台駅から電車で15分くらいで、実際被災した海沿いはそこから車での移動となりました。

事務所の後輩の林宙紀君がこの名取市の出身で、ここのところ毎週末通って復興委員会の手伝いをしているということで、この日も来ていたことから彼に案内してもらいました。

駅周辺は別段なんて事もない感じだったんですが、海に向かうに連れ様子は変化。
ところどころ道路がボコボコになっていたり、仮設住宅が建っていたり。
さらに進むと田園地帯。緑が生い茂ってるんですが、実はそれは稲ではなくただの雑草。よく育ってる稲のごとくびっしり生えていました。その中にひっくり返った船や車がところどころに点在。

でもそこを過ぎると様相は一変。良く言えば“さら地”ですが、つまりは波にさらわれ倒壊した家々をすべて撤去した跡なのでした。

サッカースタジアムのような規模のガレキの大きな山がいくつも存在。
倒れた電柱、めくり返されたようなアスファルトの地面、波にのまれたバス等・・・

その中に5mくらいの高さの小さな小高い丘が。
太平洋戦争で亡くなった方の鎮魂の石碑が立っているんですが、そこにも爪痕がありました。

丘の上り口にある鳥居。木の鳥居がたっているんですが、もともとあったコンクリートのものは波に持って行かれ、折れて根元の方だけ残っている状態。

高さ3mくらいの鎮魂の石碑はありましたが、本当は3つあったそうで、2つは波によって倒されたそうです。確かに丘の下に横たわっていました。

そのサラ地となってしまったところで未だ探し物をしている方もいると聞きました。
座り込んでうなだれてしまってる人もいると聞きました。
これでもかなり片付いて落ち着いてきたようなんですが、あまりにも何もないこの様子に言葉が見つかりませんでした。

丘の上には地元の子どもたちの手によって植えられたヒマワリが咲いていました。
「がんばろう東北!」という言葉が町のあちこちに掲げられていて、それは東京でもよく目にしたり耳にしたりしますが、その重みを感じずにはいられませんでした。
やはり東京にいる僕は“よそ者”なんだと思います。でもそれを自覚して、口できれいごとを並べるのではなく、些細なことであっても具体的なアクション一つ一つに“想い”をのせていくこと。それを忘れてはいけないと思いました。