夢遊病の女

  • 川越塔子 公式ブログ/夢遊病の女 画像1
我らが藤原歌劇団の公演、新国立劇場オペラパレスでおこなわれたベッリーニ作曲のオペラ「夢遊病の女」を見てきました。

ヴィンチェンツォ・ベッリーニという作曲家、皆さまご存じですか?1801年にシチリア島のカターニャという町に生まれ、34歳の若さで亡くなった、シチリア人にしてはなかなか上品でハンサムな(笑)男性です。リラの時代にはお札の顔にもなっていたこともあるほど、イタリアではリスペクトされています。

私は歌の勉強を始めたばかりの大学院生の頃、ベッリーニの音楽にハマってしまい、修士論文も卒業演奏もぜーんぶオール・ベッリーニ・プログラムにしたくらい、死ぬほど大好きな作曲家です。

というわけでベッリーニについて語らせると長くなってしまいますが(笑)、彼は短い生涯にオペラを10曲書いています。もちろん、同世代のドニゼッティが70曲あまりも作っているのと比べれば少ないですが、「夢遊病の女」「ノルマ」「海賊」「カプレーティ家とモンテッキ家」「清教徒」が今も世界の劇場のレパートリーになっているところを見ると、打率は素晴らしく高いですよね。

ベッリーニの魅力は、何と言ってもその旋律の美しさにあります。正真正銘のベッリーニ・ホリックの私からすれば、ドラマも何もたびたび止めていくらでもベッリーニの世界を堪能したい。19世紀前半のリアルタイムの聴衆も、もしかしたら同じような感覚だったかもしれません。

広くはロッシーニから、ドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディのごく初期のオペラを指して「ベルカント・オペラ」と呼びますよね。ベルカント、すなわち美しい歌。録音技術がない時代なので、私たちは残念ながら当時の歌手の歌を聞くことはできませんが、とんでもなく素晴らしい歌手がたくさんいて、お客は歌手の声を聞きに劇場へ通い、作曲家は歌手の声を聞かせるための曲を書いた時代。

ですから、ドラマの進行と音楽の呼吸が必ずしも一致しないわけですね。時を止めて歌手の声を聞かせる時間がしばしば訪れるので、たとえばプッチーニなんかを見慣れている方が初めてベッリーニのオペラを見ると、「えっと、ここは何待ちですか?」みたいな感じになったりします。

そもそも技術的にものすごーく大変なので、ベッリーニの時代の綺羅星のような歌手達ならいざ知らず、現代の歌手はまず「歌う」だけで精一杯。いや歌えるだけでスゴイんです。

でもただ演奏するだけでは、ベッリーニの音楽は現代の聴衆の体内時計にはピタリとハマりづらい。そこで手腕を発揮するのが、演出家です。

今回の藤原の公演で演出を担当したのは岩田達宗さん。お客さんが「なんかここ、無駄に曲が長くない(いや本当はそここそがベッリーニの魅力なんだけどね)?」と思ってしまうポイントを、見事にドラマ作りでカバーしていました。脱帽!ブラーヴォ、達ちゃん。

そして大活躍だったのが合唱団。前述のとおりソリストは無駄な芝居よりも音楽を聴衆に届ける役割がとても大きいので、ドラマのかなりの割合を合唱団が担っていた感じでした。

余談ですが、新国立劇場の主催公演以外の日本のオペラの合唱団は、その都度メンバーを選んで組織されます。だから「ここで失敗したら次はない」という、ソリストに近い緊張感というか、一期一会の意気込みのようなものが舞台にあらわれる気がするんですよね。私はそこが好きです。

年金制度なんかが充実したヨーロッパの劇場付きの終身雇用の合唱団の、いかにもルーティンワークな歌や芝居を見ると(もちろんそうでないところもいっぱいあるけど)、お金を払ったお客としては心底がっかりするし、同じ歌手のはしくれとしてはとても腹が立ちます。

ま、それはさておき、手前味噌と言われても、フジワラの「夢遊病の女」最高でした。しばらくはベッリーニ熱がぶり返してしまいそうです。写真はシチリア島・カターニャのドゥオモ内にあるベッリーニのお墓で撮ったもの。