カラスのように

オペラ歌手にとって、役者さんにとっての「台本」にあたるものは、「ピアノヴォーカルスコア」と呼ばれる、楽譜です。

だからか、私たちがやっているのは劇であって「歌詞」は「台詞」であると、分かっているつもりでも、無意識に音符を追いかけてしまったりします。

今日は「高野聖」のマエストロ、大勝秀也さんと音楽稽古をしてきました。

大勝さんは、棒を振りながらも「そこは大衆演劇みたいに」、「ここはドビュッシーみたいに」、とイメージや語彙が豊かでユニークで、おもしろいマエストロです。

今日の稽古で口を酸っぱくして言われたのは、「音符や休符が見えるような歌い方をしないで」ということ。

オペラは西洋音楽の枠組みの中で作られるわけですが、日本語の台詞に作曲家がつけた旋律やリズムは、「こういう調子(雰囲気、ニュアンス)で台詞を語らせたい」という意図を、便宜上西洋音楽の譜面に書きあらわしたらこうなった、と捉えるべきだということですね。

同じリズムと音程で歌っていても、それが「音符と休符」に聞こえるか、「言葉」に聞こえるかは、オペラが成立するかどうかの、本当に死活問題です。

書いてあるリズムや音程を崩すということではなくて、台詞をちゃんと言葉や文章として大事に取り扱うことを、もう一度肝に銘じなければならない、と反省しました。

主人公が乗り移ったような鬼気せまるお芝居で、この人は歌手というより女優だ、と思って楽譜を見ながら録音を聞くと、あまりにも楽譜に正確で驚愕させられる、あのマリア・カラスのように。