アリアの運命

新作オペラには、脚本家と作曲家の「思い」とか「気合い」のようなものがたくさん詰まっています。

オペラを上演するには、まずオーケストラピットのある劇場が必要で、歌手や合唱団、オーケストラ、各種スタッフなど、たくさんの人も必要。規模の小さい「自主公演」のような形でおこなうのはなかなか困難です。

ということは、オペラを作る機会に恵まれる作曲家はとても少ないし、作品が舞台にかかる機会もとても少ないわけですね。

いきおい、力が入ります。当然です。結果として起きやすいのは「盛り込み過ぎ」という場合が多いように思います。

上演してみて、作曲家自身も「ちょっとやり過ぎたかな」と反省したりして、さらに幸運が重なって再演される場合に、大幅に改訂(たいていは長すぎる部分をカット)されることも多いです。

かのジュゼッペ・ヴェルディでさえ、自分のオペラにこの手の改訂を加えているくらいなので、舞台にかけてみて初めて見えることもあるのかもしれませんね。

さて、私が今稽古中の「高野聖」も、ほやほやの新作です。作曲者の池辺晋一郎さん(そうです、N響アワーで駄洒落を連発していらっしゃる、あの方です)は、もう何作ものオペラを発表なさっている大御所なので、「力入ってるなぁ」という感じは全くありません。

でも。私が、初演を担わせていただく責任ある歌手の立場から、心配な部分がひとつだけ。

幕切れに、私演じる「女」のアリアがあるんですね。長大な、といってもワーグナーなんかの曲に比べれば可愛いものですが、時間にして10分ぐらいでしょうか。

音楽的にはオペラ全体を凝縮したような内容で、泉鏡花の原作では語られない「女」の思いが、脚本の小田健也さんによる言葉で語られます。

だいたい、「アリア」はこのオペラの中で1曲だけ。小田さんと池辺さんの気合いがここに集約するのも分かりますよね。

これ、素晴らしい曲です。最近は「スルメ曲」とか呼ぶらしいですが、噛めば噛むほど味が出る、というより聞いて(歌って)いるうちに池辺ワールドに引き込まれる、オペラの終わりのクライマックスです。

それだけに、歌手がその魅力をそのまま再現してお客様に伝えなければなりません。

素晴らしい曲なのに、再演になった時、「やっぱあのアリア長すぎたな」とか言ってカットになったりしたら、完全に歌った私の技量不足で、曲に魅了されている私としては残念すぎます。

アリアの運命は私にかかっていると心得て(大げさ?)、私も気合いを入れて演じてみせましょう。