音と言葉の素敵な関係

オペラは劇です。「オペラは見たことないけどミュージカルなら見たことある」という方も多いかもしれませんが、ミュージカルだと、台詞で劇が進行して、感情が盛り上がると歌い出しますよね。

オペラでは、大抵その「台詞」にあたる部分にも全部音符が付けてあるので、結果、オペラ歌手(オペラ俳優、じゃなくて歌手って呼ぶぐらいだしね)は初めから終わりまで「歌って」いることになります。

が、オペラが劇であるからには、歌手が「歌う」というのはイコール台詞を「語って」いるわけですよね。そんなの当たり前みたいだけど、歌手にとっては意外と大きなハードルになったりします。

何故かというと、歌手はまず「歌」あるいは「声」を入口にしてこの世界に入るからです。「お芝居をやりたい!」若者はオペラ歌手を目指しませんよね。

マイクを使わず、自分の体を楽器に作り上げて、オペラの中で役を演じるための道具である「声」を育てるのは一大事業です。というか、そのための試行錯誤は一生続きます。

オペラを見に来てくださるお客様も、お芝居やミュージカルにはない「生の声」の魅力を求めている。いきおい、歌手は正しく美しい声を出すことにばかり集中するきらいがあって、言葉を犠牲にする方向に向かってしまう危険があるわけですね。

もちろん「声」の魅力なくしてオペラは成立しません。が、声はただの声では意味がないわけで、オペラにおいては音楽と言葉は一心同体、時には言葉が、私たちの喉から手が出るほど(文字通りね)欲しい「美しい声」の手助けとなることもあるはずなのです。

熱くなってしまいましたが、今日、それに近い体験をしました。

目下全力で勉強中のオペラ「高野聖」。何しろ音を取るのが難しい曲です。新しい楽譜を読むのはどちらかと言えば得意だと思っていた私も、大苦戦していました。

「正しく音程を取らなきゃ」と躍起になって、ピアノを叩いて練習して、稽古場ではピアニストの弾くオーケストラの和音にヒントをもらおうと耳を澄ませていましたが、さっぱりうまくいかない。

困り果てていた私に、ずっと稽古に付き合ってくれている副指揮者がひねり出してくれたアドバイス。
「いったん音取るのやめて、オケを聞くのもやめて、台詞に音をつけてしゃべってみませんか」。

溺れる私は藁をも掴む思いで、言われたとおりの意識で語ってみると。

嘘のように音がピッタリはまり始めたではありませんか。いったいこれはどういうことなのでしょう。ありがとう副指揮ちゃん(若くて美人)。

言葉に意識を移したおかげで音が取れるようになるなんて。音と言葉が寄り添ってくれるようになると、不思議とオケの音もすんなり耳に入ってくるようになります。

あんまり音が取れないので、「イジメか!」と作曲者の池辺先生を逆恨みしそうになったりしていましたが、ズレていたのは私ひとりだったわけで(笑)、私がぴたっとおさまるべき場所におさまると、オケの奏でる音楽も何とも幻想的で魅惑的。

手の平を返したように「池辺晋一郎は天才だぁ!」と感動している今日の私です。