カラダが覚えてること

今朝の読売新聞に載っていた楽天・マー君の言葉。
昨夜は10奪三振で勝ち投手になりましたが、立ち上がりは4連打を食らって先制を許す苦しいピッチングとなったようです。
その時に「自分のフォームの事を考えてしまい、バッターに全てのエネルギーを注げていなかった。少し投球のテンポを上げようと思った」そうで、投球間隔を縮めたところ、雑念が消えて自分の投球を取り戻したとの事でした。
最近、同じようなことを思う場面があったので、我が意を得たりという感じでした。
これはたまたま野球の話ですが、スポーツ全般はもちろん、役者の芝居も同じで、本番の舞台の上であれこれ考えていたらいい芝居など出来ません。
考えたり研究する作業は練習や稽古場でするもので、試合や本番は、体に刷り込んで覚え込ませたものを「反射的」に表出させる場だと思うのです。
マー君はテンポを上げ、自分の体の「反射」に委ねたから立ち直れたのではないかと思いました。
それと勝負事も芝居も相手があってのもの。全ては相手を見ることから始まるのだし、芝居で言うならば相手との呼吸を合わせていく事でその場の一体感が生まれてくるのですが、自分のことしか考えていない、あるいは他人を見る余裕がない役者は、自分一人でじたばたして流れをかき乱してしまいます。他人の行動の中にこそ自分の行動を決める要素があり、それに委ねた方がよっぽど楽に表現が出来るのですが、経験が少ない役者さんはそれが分からずに苦労しています。
そこをどうアドバイスして意識改革させるのか。これが中々難しい。
監督や演出家の腕の見せ所であり、悩みの種であります。
私たちも日々精進!