常々、不思議に思うこと

もう15年前のことになります。
私の映画デビュー作『[Focus]』がスウェーデンのイェティボリ映画祭で上映されました。
上映が終わりティーチインが始まる前に、司会の現地の女性が私に近づいてきてこう聞きました。
「今、映画を見ていたら最後の字幕に Directed by ISAKA Satoshi となっていたが、 映画祭のプログラムには Director:Satoshi Isaka となってます。どちらが正しいのでしょうか?」
私はこう答えました。
「日本では姓が先で名前が後ですので、ISAKA Satoshi が正しい呼び方です」
すると彼女は
「それは大変申し訳ありませんでした。プログラムの印刷は修正できませんが、 どうぞお許しください」
と私に謝り、ティーチインの冒頭で観客にそのことを伝え、
「Director, Mr.ISAKA Satoshi」
と私を紹介してくれました。

何故、こんなことを書くかと言うと、オリンピックや色々な国際大会の中継を見ていて、日本人選手の英語表記が『名・姓』の順番になっているからです。
同じ『姓・名』の中国や韓国の選手の表記は、とっくに自国と同じ順番になっているにも関わらずです。
これは長い間、欧米流に順番をひっくり返すという英語教育を受けてきたから、エントリーの際にそのように記入しているせいだと思いますが、数年前には文部科学省もその過ちを改めて、ちゃんと『姓・名』の順番で自己紹介するよう指導を切り換えています。
それなのに、何でいつまでも変わらないのでしょう。

一人一人の人間にとって、名前はその人を特定するとても大事なものです。
そしてその順番と言うのは、大げさに言えばその国や地域の歴史・文化・習慣等に密接に結びついているものです。
それが『お国柄』ということではないでしょうか。
ですので、アメリカ人のドナルド・キーンさんは日本国籍を取得してからは、『キーン ドナルド(雅号:鬼怒鳴門』と自らの表記を改めたのです。

スウェーデンでの体験は、もしかしたら彼女の観察力と感受性が優れていたから、そういう対応になったのかもしれませんが、自分と違う文化を理解し尊重し、それを伝えようとする思いやりを持つ心がある人が一人でもいたということに、素直に感謝の念を抱きました。

とにかく、早急に表記を改めてほしいものです。
国旗や国歌も大切ですが、個人の名前の表記ミスを何年もほったらかしにして、世界中に誤解をまき散らしていることについて文句を言う政治家が一人もいないというのは何とも不思議な現象です。
口では「日本が日本が」と言いながら、欧米の猿まねをしていることを恥と思わない人々に「本当に愛国心をお持ちですか?」と聞きたい気分です。

ついでに『愛』や『心』は個人の自発的な感情の発露であり、上から強制されたり命令されたりするものではないことを、申し添えます。

 
  • コメント(全1件)
  • さんぽうよし 
    8/12 17:23

    日本人の漢字名を、中国では中国語の漢字の読み方で読みます。
    たとえば、林をリンと読むなど。
    これも違和感を感じます。

    でも三国志を読む時は、人名を日本語読みしちゃいますが…
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