昨日になりましたが

東日本大震災から1年が経ちました。今日の翠組の稽古では、14:46にみんなで黙祷を行いました。その時に、小学校で歌った震災復興を歌った唄を何となく思い出しました。

1年前の今は自宅に帰れず、コメディユニット磯川家の面々が暮らす通称磯川ハウスに向かっていました。

あの頃は、ただお芝居をする道しかなくて、キャラメルボックスのみんなと必死で駆け抜けてきました。今もその時と変わりません。場所は違えどひたすら、がむしゃらにお芝居を作ることしか私には出来ません。
毎日毎日、自分の不甲斐なさを感じる日々ですが、私にはこれしか出来ないので。1日も早い復興を祈るしか出来ないので。毎日必死に生きていきたい。

『必死に生きる』
これは阪神淡路大震災を経験した私がずっと今まで曲げていない信念です。必死になれるのは生きている時間だけ。大切な物を、大切な人を思って、また新たな気持ちで生きていきたいと思います。

亡くなった方々のご冥福をお祈りし、被災地の1日も早い復興を願っております。


演劇集団キャラメルボックス
稲野杏那

 
  • コメント(全3件)
  • ☆なぉたん☆ 
    3/12 01:10

    あれから1年、長いようで短い。

    短いけど、色々ありすぎた


    2011・3・11 14:46、震源から約1000の滋賀で寛いでた私も慌てて家を飛び出した。

    揺れ方は、1995・1・17とは違ったが、とんでもない事が起きたと、すぐに分かった。

    3分後
    で家を出た。


    行き先は、それ以前に退職してい
    です。

    私、実は、日本DMAT隊員なんです。

    列車や航空機、高速道路での事故やテロ事件などの大規模の多数の死傷者発生事案で、現地に向けて緊急出動する医療支援部隊です。

    厚生労働省から、準備依頼
    が届いた時には、
    着直前

    決して国が遅いのではありません。日頃から気持ちを持っていた隊員は、こういう早業です。

    ホンマなら、そのまま現地出動すべき。是非とも行きたいと思いましたが、退職してて
    スタッフではありませんので部隊の一員となれず、そのまま見送りすることになりました。

    正式に出動指令が来る10分前、やはり早い


    こういった大規模災害に向けて、1人でも多くの助かる命を助けなければならない、そういう使命感での資格取得でしたが、不覚にも、自己の病によって退職を余儀なくされ、本当ならこれが初出動となるはずが、全く無力な1人でし


    東北のきれいな町、活気のある海岸の景色が一転しました。


    あれから1年、長いようで短いです。

    被災地の瓦礫や土砂等の撤去、未だに見つからない多数の方の捜索、そして、元の町への復興には、もっと長い年月が必要です

    皆の力が必要です。

    1つにならなければなりません。

  • ファイ 
    3/12 02:15

    震災のことを忘れずに、これからもがんばっていきた

  • キャラメル 
    3/12 16:37

    阪神大震災を経験しているんですよね。あの時は私は高校二年でした。私も精一杯生きようと思います。好きなキャラメルを見ながら?黙祷はしました。多くの命が犠牲になった。あの地震、津波、原発。何もかもが、なくなってしまうというのは、なんともいえないですね
  • GREEにログイン(新規登録)するとコメントを書くことができます。
    ログイン(新規登録)