服部

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私の忍術の流派は、麻績服部流といいます。伊賀流忍術の一派ですが、伊賀といえば、皆さん真っ先に思い出す人物は、服部半蔵ですよね

でも、この服部半蔵、大半の人が、忍者だと思い込んでいるようですが、それは全くの誤解です!
服部半蔵は、武士です!
ただ、代々服部家は伊賀地方の豪族だったので、伊賀の忍者をとりまとめていたという事実が、どういう訳か、半蔵自体が代表的な忍者というイメージになってしまったようです

今日は、ちょっと難しいんですが、その服部氏の成り立ちをお話します。
時は、大和政権の成り立ちの頃。
朝廷の組織は、氏姓制度によって創られていました。
氏とは、名字のこと、姓とは位のこと。
位には、臣、連、君、直などがあった。
もちろん、一番頂点は、天皇の祖先、大王。
葛城、平群、蘇我氏などの大和の有力豪族には臣。
大伴、物部、中臣氏などの特定の職能を持って朝廷に仕える有力豪族には連。
筑紫、毛野などの地方の有力豪族、つまり、もと縄文民族には君。
大和政権の支配に服した一般の地方豪族、つまりもと縄文民族には直。
という具合に位づけをした。
それぞれの姓には、伴と呼ばれる、朝廷の警備や神の祭りを担当する人民、後の武士の原形。品部と呼ばれる職人。名代、子代と呼ばれる農民などが支配されていた。
そのうちの品部には、陶部、錦織部、鞍作部などのそれぞれの専門職人がいた。
そのうちの機織部(はたおりべ)と呼ばれる服を作る専門職人がいた。
それはやがて、服をつくることから、服部(はとりべ)と呼ばれるようになっていった。
これが、服部氏の始まりである。
これらの部民は、大陸から渡ってきた帰化人がなっていったのだが、そのうちの秦氏の一派、呉服(くれは)一族がもたらした機織り技術が、服部(はとりべ)の技術に発展していったことから、服部氏の祖先は、秦氏という見解が有力である。
ともあれ、もともと、服部氏は、大和政権の組織下に生まれた氏族であり、もともと縄文民族であった山の民を束ねるに至ったわけであり、忍者そのものになりえない家柄なのである。
服部半蔵自身が忍者ではないことを説明するには、ちょっと難しすぎたかな?







 
  • コメント(全7件)
  • のりのり(ありがとうございました!) 
    4/19 10:04

    すごく勉強になりま

    いつも楽しみにしてるんですよ

  • 桃ちゃん☆我が使徒5名永遠にЯ 
    4/19 10:26

    いや簡潔説明だと思うよ

    つまり半蔵と小太郎(風魔の頭領)は遠い昔は仲間だったって事になるわ



    因みに半蔵の父親の姓名は

    服部半三正成だったと思うが...違ったっけ


    室町末期に現れた稀代の術



    息子の半蔵は父親程にはならなんだがね



  • 鬼《樽》嫁 
    4/19 11:48

    忍者ハットリくん


    で、育ったから、疑うことなく《忍者》だと思ってた


    軌道修正ありがとうです

  • まりりん 
    4/19 22:04

    服部半蔵は忍者では、なかったんですね
    っとりくん…
    っても勉強になりました
    りがとうございましたm(__)m
  • 妃羽理 
    4/20 00:14

    桃太郎withモモタロスさん
    服部半蔵は全部で12人います。
    服部石見守半蔵 という名前は世襲制で、代々受け継がれて来た名前なんですよ

    皆さんが、よく耳にする服部半蔵は、服部石見守半蔵正成のことで、伊賀生まれではなく、三河の生まれで、半蔵としては、二代目です。
    初代は服部石見守半三保長といって、彼は伊賀生まれです。
    ブログで説明したとおり、服部氏は秦氏の末裔なので、弥生民族の中に溶け込んでいった帰化人。
    風魔小太郎は、足柄から丹沢にかけて生息していた山賊、風魔党の頭領なので、縄文民族の流れでしょう。
    服部氏にまとめられていた伊賀者たちとは、出所が一緒の可能性はありますが、服部半蔵と風魔小太郎はまったく家柄が違うんですよ

  • 鬼《樽》嫁 
    4/21 09:10

    凄い



  • ぴあん 
    4/27 06:49

    服部半蔵の名前は代々に受け継いだもので伊賀忍者のマトメ役と共に歴史の裏舞台で有名だと聞いたことは有りますが本人は武士とは初耳です。
    その知識で物語を造って下さったら楽しいでしょうね
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