「故 野中広務先生を偲ぶ」

野中広務元官房長官のご逝去に対し、心から哀悼の意を表します。
ご冥福をお祈りいたします。

参院本会議の代表質問で「安倍政権の下、日本の専守防衛という国是が変質しているのではないか。」と訴えた直後の新幹線の車中で野中広務先生が亡くなられたというニュースが飛び込んできました。
年末に倒れられ、野中事務所に容態とお見舞いが可能かどうか、問い合わせをした矢先のことでした。

まずは、野中先生が衆議院議員を勇退されてからの晩年、党派を超えて温かいご指導を賜ったことに心から感謝を申し上げたいと思います。
私が初当選をさせていただいた1998年頃には、すでに野中先生は自治大臣、国家公安委員長を歴任され、小渕内閣では剛腕の官房長官として大物政治家の名声を欲しいままにされていました。
もちろん、同じ京都の選挙区とはいえ、一年生議員の私から見れば、近寄りがたく、怖く、遠い存在であったことは言うまでもありません。
そんな一年生の私にも花形委員会である予算委員会デビューの機会が訪れました。
総理をはじめ全閣僚が居並ぶ中、緊張でガチガチだった私の甚だ稚拙な質問が終了し、休憩に入った直後、閣僚席から野中先生が私の方にゆっくりと近づいて来られました。
「まずい、これは怒られる・・」と思わず首をすくめた私に、すっと手を出され「とてもいい質問だったよ。」と、にこやかに握手を交わしてくださいました。あの一瞬は忘れることはできません。その一言が、若造議員にとって、その後の政治人生にどれほどの勇気になったか計り知れません。

私が内閣官房副長官の時は、度々携帯電話に連絡をいただき、その時の政治状況への対応に貴重なアドバイスを賜りました。特に日中関係に関して、長年の友人関係、交流を通じた説得力のあるご助言を頂きました。

野中先生の行きつけのお店に、京都西陣の「天喜」という天ぷら屋さんがあります。何度かご一緒させていただきました。
美味しい天ぷらをペロリと平らげられたあと、何と特別メニューとして締めにステーキまでが出てきました。ニコリと笑いながら美味しそうに召し上がっておられたのが印象的でした。80歳代とは思えぬ旺盛な食欲に驚かされたものでした。
園部町長や府会議員時代の思い出、反戦、沖縄、中国への思い、膝の周りを毎日ハンマーで叩かれている健康法など多くのお話を承りました。

野中先生は、つい先頃まで「社会福祉法人 京都太陽の園」の理事長として、障害者と深く関わっておられました。その関係だと思いますが、長年、京都府身体障害者団体連合会の会長にも就任されていました。
今から6〜7年前、突然野中先生からお電話を頂き、「ぼくはもう歳だから、君にこの団体を任せたいと思っている、いいね。」というお話を頂きました。
私は驚き、恐縮しながら「大変有難く、もったいない話ですが、先生の後継などとはおそれ多すぎます。私はその任には力不足です。申し訳ありません」と丁重にお断りさせていただきました。
その後またお電話を頂き、三度目の電話でとうとう怒られました。
「君は、これほどぼくが言っているのに受けられんのかね。」
これが、現在、私が京都府障害者団体連合会の会長をさせて頂いている理由です。
おかげで障害者との数多くの出会いを頂き、障害者政策は、まだまだとはいえ、私のライフワークの一つとなりました。
昨年、太陽の園の理事長をご勇退されたことを機に、長年の功績を称えて連合会で何らかの表彰を、と考えていたのですが、それが叶わなかったことが心残りであり、大変申し訳なく思っています。

1997年に衆議院本会議で「国会の審議が大政翼賛会のようにならないよう、若い人にお願いしたい」と呼び掛けられました。まるで今の時代を予兆されていたかのような発言です。
常に弱者の視点を持ち、安保法制に反対され、反戦を強く主張されたその姿は、現在の安倍政権や自民党から失われた姿勢そのものです。
「影の総理」「ケンカ師」 「剛腕」・・・政治家にはいろいろな評価が付きまといます。しかしながら、ここまで懐が深く、義理と人情、平和や弱者へのいたわりを大切にしてこられた野中先生は、まさに古き良き時代の保守政治家を自ら体現されていたのではないでしょうか。

野中先生、お世話になり、本当にありがとうございました。
京都、日本のために尽くされた壮絶な人生をおつかれさまでした。どうかゆっくりとお休み下さい。