ロス疑惑の結末は

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後4日で、10月10日だが
2008年10月10日に、
故・三浦和義が亡くなり
早いもので、
今年で、5年がたつてしまった
結局、あの事件の真相はなんだったのか
闇のなかかに、
何年たっても、謎のままだ!

そもそも。三浦氏の出合いは
世界中の誰もが知ってる、
ロス疑惑=三浦和義

2003年3月5日 
最高裁で実行犯が特定できていないことから
証拠不十分で逆転無罪となる。

2003年12月
この三浦和義とある
パーティーで名刺交換する
いやらしいパーティーではありません
この時から、
オーラがすごく圧倒されるものだった

2004年2月21日
ライブハウス
横浜ベイジャングルのオープンイベントに
顔を出してくれたことから
故・三浦和義との付き合いが始まる

2005年1月
故・三浦和義から電話があり
「荒井さんの事務所に入るから」
と勝手に事務所の所属が決まった

2005年3月18日
スタジオで宣材写真を
見事に、怖い感じの写真が出来て
「さすが人殺し」と言うと
「社長、訴えますから」と
この会話が、どこでも使われた
私が、故・三浦和義を紹介するときに
必ず、人殺しの三浦和義ですと紹介する
みんな、笑いがでるが
その笑いに向かい
あなたとあなた、「訴えます」と
これがキャッチフレーズになる

故・三浦和義の5年間
兄弟みたいな付き合いで
なにかある毎日が、楽しかったのを思い出す

2005年2月
彼から、映画を作ろうと相談
すぐに、準備に入る

2005年12月26日
風雲児〜長者番付に挑んだ男〜
映画の最終日の撮影
それには、なんと増田ともなりも出演
彼は、これが最初で最後の出演となる
最後のカットを撮って終了
夜は、京都の町で打ち上げを

2006年6月10日
新宿にて
故・三浦和義がプロデュースした映画
風雲児〜長者番付に挑んだ男〜
上映される
舞台あいさつには
主役の美木良介氏をはじめ
雛形あきこ氏・板尾創路氏らが来てくれる

2007年4月5日
コンビニエンスストアで、
サプリメント(6個、計3632円)を
万引きした容疑で逮捕される
これまた、大騒動になる
横浜地裁小田原支部始まって以来の大騒動
裁判官が何と3人の合議制を
とても、3632円の万引き裁判とは思えず
もし、この裁判が続いていたら
たぶん判決は、無罪の判決になっていただろう

2008年1月25日
ザ・グレート・サスケと前の日に
熱海の岡本ホテルにとまり準備を
まだ、問題が無い時の岡本ホテル
私の母が、岡本ホテルの会員権を買い楽しんでいたが
詐欺で800万円だまされる
その、問題のホテルで一泊するが

小田原地裁に、ザ・グレート・サスケと傍聴しにいくが
故・三浦和義の控室には入ったが
地裁からの判断で
ザ・グレート・サスケは、覆面のため入れないと
当時、ザ・グレート・サスケは岩手県議会議員だったが
議会で、覆面はOKの判断だったが
弁護士 弘中淳一郎氏を通じて、議会と司法は違いますと
残念ながら、裁判所の中には入れなかったことが印象に

2008年2月3日
三浦和義トークショー
毎月、行っているトークショー
東京・代官山の小さな洒落たライブハウスを借りて、
三浦元社長と河村さんが聴き手になって、
色んな冤罪事件の当事者などを
毎回ゲストに招いてじっくり話を聞くというトークショーを、
毎月1回、「痛快・現代人別帳」というタイトルで開いていた。
最後の出演になったのが、
あの鈴木宗男議員の秘書だった
ジョン・ムウェテ・ムルアカさんがゲストだった。
ムルアカさんも、鈴木宗男議員報道では、
かなりもみくちゃにされた1人だ。
私が撮った最後の三浦氏の写真だ

2008年2月22日
彼が、サイパンで逮捕される
この日は、女優の夏目雅子さん死去
夜、横浜スタジアムで行われた
プロ野球・大洋−阪神戦に阪神タイガースが勝ち、
21年ぶりのリーグ優勝に向けてのマジックナンバーが点灯した。
それらのニュースが報じられるはずの夜のニュースの時間帯に、
突如臨時ニュースが入って、
テレビ局も特別体制で大々的に報じたのが
「三浦和義逮捕」のニュースだった。
夏目雅子さん死去も、阪神のマジック点灯も
残念だ!
そして、この日は、
小池隆一郎が、貴子と婚姻届を出した日だ
(結婚式は9月11日、故三浦和義がロスで逮捕された日)

2008年4月15日
サイパンより、故三浦和義から電話が
私の裁判の係争中の件について、心配で電話したと
優しい、気配りであるが
私は、自分の事を心配しろと言った

2008年7月6日
私と長女・藤野氏・佐久間氏を連れて
サイパンに飛ぶ
来るときに、頼まれた痛み止めの薬と
刑務所の牢名主に献上する
日本の入れ墨の本を頼まれ、持っていく
サイパンの刑務所は日本の刑務所と違い自由が
面会時間は30分だが、1時間に延長してもらい
刑務所の中で、5人で昼食を食べる
これが、故・三浦和義との最後の面会である
後ろの見えるテントの下で、面会だった

2008年10月10日
サイパンからロスに移送
ロサンゼルス市警の留置施設にてシャツを用い
首をつって自殺
これも、疑問に残る死亡だ

2008年10月25日
遺体はロサンゼルスで荼毘に付され、日本に帰国

2008年11月3日
東京・平和の森会館で葬儀が行われた
事務所のスタッフを動員してお手伝いに
故・三浦和義と仲間たち
この遺影は、マスコミの方は見ていないはず
故・三浦和義の代名詞はサングラスのため
めがねをはずした写真が少なく
はずすと、可愛い目のため、いつもサングラスを
やっと、探した一枚の写真を使った

2008年12月15日、
横浜地裁小田原支部は被告人の
死亡を理由に「万引き事件」の公訴棄却を決定

2009年10月9日
一周忌に御線香をあげに、自宅に訪れる
大変可愛がられていた、長女と次女も連れて
故・三浦和義の愛犬マリン・ラッキーが迎えてくれる

2009年11月11日
平塚の墓地に納骨する
小池・村戸と3人で


三浦和義
1947年7月27日山梨県生まれ。小学生から中学生にかけて子役として映画に出演、青年時代は次々と事業を起こし、輸入雑貨業・フルハムロードを成功させる。’84年に「週刊文春」が本人取材をしないまま保険金目的の計画殺人の主犯であると報道。以来、マスメディアの集中攻撃にさらされた。翌’85年、逮捕・起訴されたが、’98年に東京高裁で無罪判決が下りる。’03年、最高裁が上告棄却、無罪が確定。その後、映画プロデュース、人権・冤罪問題などに関する支援・講演など幅広く活動していたが、’08年2月22日、旅行先のサイパンでアメリカ当局に拘留される。10月10日、移送されたアメリカ・ロサンジェルスで客死

2人で映画を企画して、完成するが
また、それも出演料問題で裁判までなる騒動が
波乱万丈の人生を送った、故・三浦和義
楽しい5年間でした

合掌