プロレスで「神格闘十字軍」を名乗った矢口壹琅さん

  • 荒井英夫 公式ブログ/プロレスで「神格闘十字軍」を名乗った矢口壹琅さん 画像1
日刊ゲンダイ 7月13日(土)10時26分配信

 米ボストンにあるバークリー音楽大学といえば、クインシー・ジョーンズ、渡辺貞夫、秋吉敏子など、あまたの有名ミュージシャンを輩出した名門音大である。そこのジャズ作曲科出身という超異色の肩書のプロレスラーが15年ほど前に話題になった。矢口壹琅さんだ。今どうしているのか。

「93年、29歳で出たサンボのワールドカップ100キロ超級でベスト4に残ったのが転機になりました。W☆INGってプロレス団体から誘われたんです。バークリーを卒業後、ジャズの作曲やゲーム音楽、それに声優さんの楽曲とかを手がけてて、プロレスを取るか、音楽を取るか、正直、悩みました。でも、お世話になってたアニマル浜口さんの“せっかく天から二物を与えられたんだから、全力で突っ走れ”って言葉に背中を押され、二足のワラジで行くことにしたんです」

 横浜はJR関内駅近くのファミレスで会った矢口さん、まずはこういった。もちろん、いきなりのサンボだったわけではない。
「幼い頃からの格闘技オタクで、サンボ、柔道、合気道、空手、アマレス、キックボクシング、新体道、それに通信教育でカンフーも習ってました」という素地があったからこそだ。

 さて、この6月20日に新宿FACEでデビュー20周年の記念試合を行った矢口さん、最初は地味なレスラーだったが、96年、谷津嘉章の「SPWF」に参戦すると突如覚醒。髪を金色に染め、顔は白塗り、額に赤く十字架を描いてマットに登場し、有刺鉄線を巻いた十字架を手に、「神格闘十字軍」を名乗って大暴れした。その派手なヒールぶりにファンは熱狂、名門「バークリー音楽大学ジャズ作曲科卒業」という異色の肩書も相まって、「矢口壹琅」の名前は定着した。

「別にバークリーを隠してたわけじゃないんですけどね、ハハハ。高校時代に生まれつき仙腸関節がない、何万人に1人の難病が見つかり、プロレスラーの夢をあきらめた。その分、プロレスラーになれたのがうれしくて、浜口さんの言葉通り、突っ走っちゃったんですよ」

 ちなみに、バークリーの4年先輩にジャズピアニストの小曽根真、半年後輩に同じくジャズピアニストの大西順子がいる。

「オリエンタルプロレス、新格闘プロレス、大日本プロレス、IWAジャパン、WJプロレス、WAR……、ホント、いくつのインディーズ団体で戦ったのか、自分でも覚えてないくらい。ただ、どこの団体でも外国人レスラーのようにワンマッチいくら、シリーズごとに出場契約を結ぶやり方を通しました。しょっぱい試合をすれば次のオファーはないんだから、ギャラがもらえなければ次の試合は出ないと強気で交渉した。長州力さんが率いたWJプロレスは経営が悪化し、ギャラが未払いのレスラーが何人もいたんです。だけど、ボクは長州さん相手にちゃんと交渉して、しっかりギャラをもらいましたよ」

 横浜・本牧にひとり暮らし。結婚歴はない。
「日本で住むならブルースの本場、横浜ですよ。今は横浜ロッカーズというブルースバンドのギター兼ボーカルとしても活動してます。ギターの弾き語りでブルースを歌い、オファーがあればプロレスのマットに上がる。世界広しとはいえ、“シンガーソングプロレスラー”は自分だけでしょう、ハハハ」