松井秀喜5打席連続敬遠

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2010年8月15日

明徳義塾(高知) 2〜8 興南(沖縄)

残念ながら、負けてしましまいましたが

1992年8月16日にこんなことが

18年前、高校生らしく戦うか、勝負をとるか問題に

1992年8月16日、第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が、星稜の4番打者・松井秀喜を5打席連続して敬遠する作戦を敢行し、この試合で松井が一度もバットを振らせてもらえないまま星稜が敗退した出来事である。

試合後の当事者のコメント

明徳義塾の馬淵史郎監督は試合後、「松井への全打席敬遠は私が指示した。生徒達には『オレが全て責任取るから心配するな』と伝えた。本当はためらったのだが、こちらも高知県代表として初戦で負けるわけにはいきませんから。負けるための作戦を立てる監督は誰もいない、私は全てを読んだ」「(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」とコメントした。投手の河野は「監督からは『全部敬遠で行け!』と言われたので指示通りに投げました」とコメントし、インタビュアーからの「一度くらいは勝負したかった?」との問いには「全然思っていないです」。そして「チームが勝つことが大事」と答えたが、球場を引き上げる際の河野は、松井の顔をまともに見られなかったという。主将の筒井健一は「スタンドから物が投げ込まれた時に嫌な思いはしたが、あくまで監督の指示に従っての行動だった」と、それぞれ硬い表情のまま述べた。

一方、星稜の山下智茂監督は「私の野球人生の中で最も悔いの残る試合となりました。明徳には高校生らしく、正々堂々と勝負して欲しかった。松井があまりにも可哀想でならない」と涙ながらに語った。その後松井には「よう我慢したな。5回も敬遠されたら一度くらいはバットを振りたかっただろうに」と労ったという。松井の次打者だった月岩は「自分に力が無かった」、投手の山口は「先に点を取られたのが悪かった」と、それぞれ悔し涙を流していた。

この試合、明徳に全く勝負させてもらえなかった当事者の松井秀喜は、試合後インタビュアーから「一度でもバットを振りたいとは思わなかった?」「今までに敬遠されて歩かされたことはあるの?」など何を聞かれても「覚えていません」「分かりません」と素直に自分の気持ちを言葉に出来なかった。そして、「勝負して欲しかった?」の問いに対して松井は軽くうなずき、「(応援してくださった全国の皆に)ありがとうございました」と言った(松井の帽子のひさしの裏には『冷静』の2文字が書かれていたが、内心の怒りをどこかにぶつけたいのを必死にこらえているような雰囲気であった)。この松井のインタビューを見た星稜高校OBで、松井の中学時代の野球指導者であった高桑充裕は「松井も成長したな」と語った。また、後日落ち着いた後に松井は「勝負してもらって自分が打てたかどうかはわかりませんけど、勝負してほしかったです。しかし、敬遠は相手の作戦なので、それに対して僕は何も言えません。打席では打てる球が来るのをずっと待っていたのですけど。終わった瞬間も、そして今も、まだ負けた気がしません」とコメントを残した。