ぼくのしごとのこと。

こんばんは


情熱大陸やガイアは他局なので依頼があっても出演は難しいのではないかと思っております青木良です。


僕は案外日本テレビの業務が多いのです。



それでは今日は僕の仕事の話です。


仕事を始めたキッカケは…まず10代の中頃、僕はデビュー直前のアイドルだった訳です。

子供の頃から他の子より目立っていたので、周りもその世界に入ると思われていたのですが…


デビューも近くなったある日、スタジオでレッスン(口にするのも恥ずかしい(^_^;))をしている自分を鏡で見て

「これ…とんでもなく恥ずかしい事してんじゃないのかな」


と思ってしまって、事務所の制止も聞かず一撃で辞めてしまいました。


当時は今より芸能のジョブが別れておらず、アイドルしか選択肢が無かったからです


高校も辞めてしまいましたし、何かバイトをしようと思い、昔から得意だったゲームで何かないかと思いつき、ゲーム雑誌に電話をしたところトントンと話が進み、攻略本や紹介記事を書くようになった訳です。


すなわちこれが文章の世界の始まりです。


僕は小学生の頃作文をあまり書かず、授業で読まされる時は白紙をアドリブで読み上げるという程文系? だったので、文章の世界は向いていたかと思います。


そして二十歳を過ぎゲーム業界のマスコミに別れを告げ、多少スカウト気味に日本テレビで様々な仕事を始めました。


構成作家に事業ブレーン等、ここでは今の礎を築いたと言えるでしょう。


この時代は飯島愛さんのオールナイトニッポンや古田新太さんのラジオもやりました


ですがちょっと成り行きが説明し辛いのではしょりますが、五年後、PlayStation全盛のSONYにプロデューサーで迎えられます。


これは統括部長の直属的なポジションでした。


そして、更に数年後、大好きだった三沢光晴さんと出会い、憧れた僕はサラリーマンではなく自分の力でやりたくなって、興味があった漫画原作者に転身したのです。


そして三年程前、日本テレビにプランナー的に復帰、しばらくは作家業を休み、昨年から漫画家さんとのタッグで復活させて今にいたります。


駆け足ですが御理解いただけましたでしょうか。


ですからもし今の仕事じゃなかったら…アイドルだったんですかね(笑)。


う〜ん考えたくない(^_^;)。



明日はこの仕事の苦労話と良かった話を書きますね。