あの人っぽい文体『温泉宿・後編』

「……手…?」





身体は見えないのに、湯船から手が出てる。









白〜い綺麗な手です。








もしもこれが人間の手だとしたら、アタシが風呂場に来た時から誰も見ていないんだから、来る前から湯船の中に潜って隠れていたって事です。



熱い温泉の中にそんな長い時間潜れるなら、これまた人間じゃないですよね?







もうこれはこの世のものじゃない。












チャプン。












そう気がついた瞬間、その手がアタシの方にゆっくりと向かって来るんです!










「うわわわわっ」










ザバッ!







物凄い勢いでアタシは湯船から飛び出たんです!










すると!











湯船の中から一斉に20本はあろうかという腕がスウーッと同じように生えてきたじゃないですか!












「うわあっ」



急いで脱衣場に行くと、さっきは脱衣籠に何も入って無かったのに、全部の籠に赤い女性の着物が入ってるんです!








「こ、こんな所居られない!」







部屋に戻りながら気がついたんですが、呼んでも出てこない宿の人達、混んでるからかと思っていたけど、全く客の気配が無いんです。










もうただ事じゃない。


夜中ですけど、部屋に戻って着替えて、お金を置いて一目散に外に出ました。










そこからどう走ったかは覚えてないんですが、気がつけば朝方、前日寄った案内所前に出てました。



幽霊の出る宿を紹介するなんて、文句を言ってやらにゃあ気が済まない。



「昨日の宿、なんですかあれ!」



「あ! あんた昨日紹介した宿行かんかったって?」









「え?」




「一時間立っても来んからいうて電話あったんよ」




「……そんな…」







話を聞いてみると、この辺りには昔女郎部屋があって、殿様がそこの娘をはらませたのがお局の逆鱗に触れて、皆斬首にあったそうです。




その時女郎は


「あの世で嫁げるように」


とお歯黒を塗っていたところ、なんとお局は全員の歯を折ってから処刑したらしいんですね。



アタシが遭遇したのは、そんな女郎達の怨念だったのかもしれません。



そういえば、最初に出てきた女中さん、歯がなかったですから…。