あの人っぽい文体『来訪者・前編』

この年になるまでにね、いろんなもんを見てきましたよ。









いろ〜んなもんをね。







…あれは、アタシが上京して最初の夏でしたね。










志を持って東京に来たんだけども、出てきたばかりの頃はどうもうまくいかない。






毎日毎日アルバイトで、俳優の仕事なんてありゃしないんだ。








それでも


「いつかは大物になってやる」

って酒飲むと独り言を言ってましたね。







ちょっとキツかったのがね、上京したてだから友達がいないんですよ。






彼女が出来たらあんまりみすぼらしいのも嫌だなって安いけどマンション借りてね、部屋も綺麗にはしてたんですけど、これがまた彼女どころじゃないんだ。



人間とコミュニケーションとれないんだから。







当時のバイトはね、深夜の警備だったから、人との出会い自体がないんですよ。






もう毎日毎日寂しくてね。








でもそんな理由で田舎に帰る訳にもいかないでしょ。









問題の日はバイトが無くって、普通に昼間パチンコやって帰って、風呂のお湯を入れたんですよ。





パチンコ屋でついたタバコの匂いを消そうと思って。









「あー…田舎帰りたいなあ」








湯船につかるとなんか言いたくなりません?






この日はそれが第一声だったんですよね。





するとね。










ぬらり。








「!?」








お湯が、動いたんですよ。







肌に触るお湯の流れ。











誰かと入っている時と全く同じのね。










「…?」











1人暮らしのユニットバスの湯船の、お湯が動く訳は無いんですよ。










「気のせい…だよな」










でも、いつも入っている筈の風呂なんだけど、その日はなんとなく暗い。










まあ気分がね、そう感じさせたのかもしれません。








「そうだ、歌でも歌おう」






まあ暗い雰囲気なのを払拭するのも1人暮らしなら自分だけですからね。







「俺にはお前が…」











ぬらり。











その歌に反応するかのように、お湯が、もう一度動いたんですよ…。