被災地訪問の記録 その2

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4/24(気仙沼市の離島・大島)

気仙沼市大島選出の市会議員の菅原さんと気仙沼港で待ち合わせをして、
救援物資の作業用長靴30足などを持って、離島の大島に船で渡りました。

※大島では引き続き長靴(サイズ25〜28センチ)の救援物資を求めています。

気仙沼港には喪服を着た人々がたくさんいました。
3月11日からの大混乱で1か月半もお葬式ができなかったそうです。

大島の津波被害はひどく、東湾から襲ってきた津波と、西湾から襲ってきた二つの津波が、
島の中央でぶつかって砕けたそうです!想像を絶します。

さらに、気仙沼港の石油タンクが破壊されて石油が湾内に流れ出して引火、大島にも引火。
数日間に渡って島全体が火の海に包まれたそうです。

また、島のあちこちに巨大なフェリーが乗り上げていたり、
海には何艘もの巨大船が沈没していました。

人口約3000人の大島は、3月11日の津波で約200戸近くが被災。
水道、ガス、電気などインフラが止まって、船による交通手段も失い本土から孤立しました。
被災から3週間後の4月1日、被災地救援の「トモダチ作戦」により、
アメリカ軍の海兵隊員300人が上陸し、がれき除去や道路整 備を行ってくれたそうです。
菅原さんは「アメリカ軍が上陸したとき、
助かった、大島が見捨てられなかった、という思いがこみ上げ、本当に涙が出 た」と話していました。

菅原さんは「大島の産業は養殖と観光しかなく、その両方が完全に破壊され、
現在、島の現金収入は全く無い。
大島の人々にとって一番怖いことは、 離島ゆえに無視され、忘れ去られること。
たとえ、野次馬根性の意図での被災地ツアーだったとしても観光客として大島に興味を持ち、
大島に現金収入 が発生し、
それが経済復興の初期エンジンになってくれるのなら歓迎する」とおっしゃっていました。

賛否両論あると思いますが、大島の存在を日本中 が忘れないように、
同行した医師の友人2人と話し合い、今後、大島の災害対策本部や旅館と連携して、
被災地復興ボランティア&防災スタディツアー を継続的に企画しようと思っています。

1枚目
大島災害対策本部にて。右側が菅原議員。

2枚目
陸に何艘も乗り上げたフェリー