真ん中

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僕は花に頼って生きようとしない。
"自分を生きる"が真ん中だから。


花を見ていると、
あなたは
誰かにとって必要なことをしていますか?
と問われる。

それは他のなにを見ても同じことを思う。
その人のように生きているかなと。


僕は花を求めて生きたりしない。
"自分を生きる"が真ん中だから。

花の姿を目にして自分を律するたび、
あとから必要だったのかと思う。

あの時の笑顔が必要だったように。

だからって
毎日ほしいと思わないように。

 
  • コメント(全6件)
  • ラベンダー 
    4/1 11:04

    花を必要としないと言われている割りに、写真にチョイスするお花のセンス良いですね
  • もみぞう 
    4/1 12:48

    啓太さん、こんにちは☆なんだかひとつの詞のようだなって思いました。私もよく考えます。自分の存在について。どうあるべきか。何をする為にここに今存在するのか。。って。いろいろ難しいことだらけですね。答えが出ないからこそ、悩み考えるのかもしれません。私は誰かの為に何もできないけれど、でも、元気でいることはできる。元気で笑顔でいたい、そう思います。そうすればきっと、いつか巡り巡って大切な誰かにちゃんと届くと思うから。
    啓太さんの歌声、私たちにとって必要です☆いつもたくさん元気をもらっています。それだけは確かなことです。
  • おくろさん 
    4/1 13:57

    すみません、考えが良くまとまっていないのですが、今の私が思うことを書いてみますね。長いので2つに分けます。

    『自分を生きる』が真ん中であることと、それは私にとっても同じです。ただ『自分を生きるが真ん中あること』と、『何かを必要とするということ』は必ずしも矛盾するものではないと思います。あれからいろいろ考え続けていたのですが、昨日書いた『必要の裏にある欠如の認識』というのは違うのかもしれません。『必要』というのは『頼る』とも『求める・欲する』とも違うと思います。たとえば人が生きていくためには水が必要という事実。これだって『必要』です。そして『自分とは何か?』『自分らしく生きているか?』と考えると、どうしても他者の存在や関係性を避けては通れない
  • おくろさん 
    4/1 13:57

    『誰かにとって必要なことをしていますか?』というお花の問いも、そこには『誰か』という他者が存在していますよね。つまり自分が自分であるためには他者が必要ということで、それは依存や所有ではないということなのかと思いますが、なんだか、またよくわからなくなってきました。

    先日のやなせさんの歌にあった『何をして喜ぶ』ということを考えていた時に、『自分の大切な人たちの役にたてたら嬉しいな』と思ったんです。でも、人の役に立つためには、言葉が少し違いますがある程度の『自己犠牲』も必要となるわけだし、優しさだって根底まで見つめてみると、『優しい自分』が好きという自分のエゴであるのかもしれないとも思ったんです。で、ますます自分であるということが分からなくなった

    啓太さんにははっきりと『自分を生きる』が見えてるようですね。やっぱりかなわないなと思います
  • かなとむ 
    4/1 15:08

    脳みそがグニョングニョンで(笑)うまく表現できませんが、「自分を生きてる」ものや人に惹かれ、それを吸収してやっと「自分を生きる」ことができるのかも・・・ですね。
    わたしはいろんなものや人に助けられてやっと自分でいられてると思っています。。。
  • あき 
    4/1 19:06

    世の中綺麗事だけじゃないのかもしれないけど
    花を美しいと感じて心を寄せるのは間違って無いと思うし、
    こうありたいと描く事は弱さじゃ無いし
    花だってきっと誰かの為になんて咲いてない。
    それでもやっぱり見る心を動かすものだから。
    花に心が感じた分、自分を生きる力のひとつになれば
    それは素晴らしい事だと。
    私は思います
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